カテゴリー「生き方/価値観/考え方」の71件の記事

2009年1月 6日 (火)

人生の素敵なことは、


株式会社エイチアンドアイ CM 180秒編

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月23日 (日)

時間は存在しない。
存在するのは瞬間だけである。
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(小説家/ロシア)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 9日 (月)

東京秋葉原通り魔殺人事件/容疑者は死刑となるのか?死刑にすべきだ!

 秋葉原で、7人もの死者を出す通り魔大量殺人が発生した。
 容疑者は25歳の男性で、アキバ系の趣味を持っていたと伝えられているが、見た目普通の人で、どこにでもいる成人男性と言えよう。

 首都圏、地方都市や小さな町など、人は出歩けば他人と必ずすれ違う。
 すれ違う人達は当然他人で、面識はなく全く知らない人達である。
 そんな他人ではあるが、人は、犯罪行為を起こさないであろうと信じきって、そして、その信頼関係を暗黙の了解で感じて町を出歩く。
 まさか、すれ違い様に自分が刺されるとは、誰も思わないだろうし、当然の考え方であろう。

 近年、治安が悪化している事は誰の目にも明確であり、その犯罪は凶悪化している。
 ICPO(国際刑事警察機構・事務総局/フランス:リヨン)の調査では、日本の殺人件数は減少しており、人口10万人あたりの発生率は1.10件で、先進国の中では最も低い数字となっているという机上の統計もあるが、最近は、殺人事件の起こり方に問題があるように思える。
 つまり、容疑者(犯人)に明確な動機が見当たらないという点であり、その矛先が、容疑者と全く関わりのない見知らぬ他人へと向かって殺人が起こっているという点である。

 殺人は当然犯罪。
 法で犯罪と定義されていなくても、それを犯すような人間は人ではない。
 しかし、殺人事件が起きた背景にも例外(尊属殺法定刑違憲事件/通称:栃木実父殺し事件はある。
 しかし、例外的殺人は稀であり、例外的殺人が起こってしまった事は仕方のない事だが、法治国家的には最善の方法とは言えず・・・、しかし、人として心情的には擁護できる、当然の殺人行為という考え方もあり、同調できる。

 しかし、今回の秋葉原の通り魔事件は違う。
 乱暴な言い方でそれで全て解決とはいかないだろうが、容疑者は、即、死刑にすべきだ。
 精神鑑定だの、そんなものは必要ない。
 裁判を即日結審させ、判決が出れば、即、執行すべきだ。
 残された遺族の感情がそれで癒えるとは言い難いが、理屈ではなく、法治国家である日本国の最低限の使命であると言えるだろう。

 今後もし、この容疑者に、精神鑑定等で死刑以外の判決が下る(減刑等)様な事があれば、日本国では殺人を犯しても裁かれない国であると言う事を、国内外へ示す事となり、日本国内での殺人事件は、怨恨殺人も通り魔殺人も含め、間違いなく増加することになるだろう。

 山口県光市母子殺害強姦殺人事件での法廷判決で、判例を覆す判決を無駄にしてはならず、極刑を以って償わせるべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月12日 (月)

名言 -5- (結婚編)

 ねえ、あなた。話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね。永井荷風

 結婚をしないで、なんて私は馬鹿だったんでしょう。これまで見たものの中で最も美しかったものは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。グレタ・ガルボ

 「寒い晩だな」「寒い晩です」妻の慰めとは、まさにかくの如きなり。斎藤緑雨

 多くの女性を愛した人間よりも、たった一人の女性だけを愛した人間の方が、はるかに深く女というものを知っている。トルストイ

 人間は、大きな幸せを前にすると急に臆病になる。下妻物語

 幸せを勝ちとることは不幸に耐えることより勇気がいる 。下妻物語

 家族はさ、つくるのは大変だけど、その分めったになくならないからさ。幸福な食卓

 運命というのは 努力した人に 偶然という橋を架けてくれる。猟奇的な彼女

 今は前だけ見ればいい。信じることを信じればいい。水樹奈々

 どっちの道を選ぶかじゃなくて選んだ道でどう生きるかが大事。小雪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

山口県民の人としての真価が問われる衆議院議員山口2区補欠選!

 衆議院議員山口2区補欠選挙が、2008年4月27日に行われます。
 立候補しているのは、自民党公認の山本繁太郎氏と、前衆議院議員(比例中国)で民主党の平岡秀夫氏。
 今回の補欠選の焦点は、医療・年金・福祉政策とガソリン税、云々というより、共に問題人物。

 山本繁太郎氏は、旧建設省時代にノーパンしゃぶしゃぶ接待問題で氏名が挙がったほか、国交省住宅局長時代には、ザル法の建築基準法を放置し、その責任を全て民に押し付けました。

 また平岡秀夫氏は、2007年6月29日日本テレビ系放送の『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』において、子供を嬲り殺された遺族である母親を目の前に、こう発言しています。
 「その、加害者の人に、その死の恐怖を味あわせるという気持ちで、あれですかね、あの私は、○○さん(被害者の母親)が、本当にそれで幸せって言うか、納得するって言うか、できるとはちょっと思えないですよねぇ。
 むしろ、そういう悪い事をした子供たちにも、それなりの事情があってそういう事になったんだろうと思いますけれども・・・。<中略>
 彼ら(加害者)が、どういう環境の中で育ってきたかとか、どういう風に、その、大人とか親とかとの関係であったとか、まあいろんなことが、それは取りあえず置いといて、その、加害者になった子供たちにどうなってもらいたいのか、その子供たちが自分を反省し、これからの人生を歩んでくれるという事には、そういうような事というのは、もういいからとにかく死の恐怖を味あわせてやりたいという事ですか。」

 日本は、思想・言論の自由が認められている国です。
 しかし、人として、言ってはならない事もあります。

 自民党山本繁太郎氏は、医療・年金・福祉政策とガソリン税推を掲げています。
 つまり山本氏の政策は、国民(山口県民)にとっては金銭的に負担となります。

 一方、民主党平岡秀夫氏は、強行で国民負担増になる医療・年金・福祉政策とガソリン税に反対しています。
 つまり平岡氏の政策は、国民(山口県民)にとっては金銭的に非常に助かります。

 また先日、当時19歳の少年が引き起こし、死刑判決が出た山口県光市母子殺害強姦殺人事件。
 この判決は、民主党平岡秀夫氏の主張する思考に反した判決となりました。
 そして、その光市は、まさに山口2区に属しています。

 さあ、山口県民は、一体どっちに投票するのか?
 自分達に金銭的負担が掛ってでも、自民党山本繁太郎氏を選ぶのか?
 それとも、自分達に金銭的負担を少しでも減らすために、民主党平岡秀夫氏を選ぶのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月23日 (水)

衆議院議員山口2区補欠選(4月27日)に出馬している民主党・平岡秀夫氏の運命は如何に?

山口県光市母子殺害当時18歳少年に死刑判決
<山口県光市で99年、会社員本村洋さん(32)の妻子が殺害された事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元少年(27)の差し戻し控訴審で、広島高裁は22日、1審の求刑通り死刑の判決を言い渡した。>
www.nikkansports.comより
と、先日判決が出た山口県母子強姦殺人事件

平岡秀夫氏
彼の思想は是か非か?
仏か鬼か?
その答えが今出る!

また、ほかの事件に関する平岡秀夫氏の発言では、
2007年の日テレ放送分
 2007年6月29日に放送されたテレビ番組『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ)に民主党ネクスト法務大臣として出演した際、番組内で行われた少年法問題での討論のなかで「加害者の人に死の恐怖を味わわせるという気持ちで○○さん(被害者の母)が本当に幸せというか納得できるとは思えない」「むしろ悪いことをした子供たちはそれなりの事情があってそういうことになったと思う」と発言した。
 この発言は2ちゃんねるや「Yahoo! みんなの政治」など、ネット上で物議を醸し、平岡への批判(感情的なものも含む)が相次いだ。
 そのため2007年7月2日に自身のホームページ[2]で、少年法についての自身の基本的な考え方を説明したうえで、発言は被害者遺族に対し配慮を欠いた質問であった、「『太田光総理』の番組は、バラエティー番組だから」という私の気の緩みがあった等として、釈明と謝罪をした。<Wikipediaより>



You Tube 動画(視聴無料)


 家族が不本意に命を奪われたなら、遺族は鬼になるのが普通。
 鬼にならない人間は、人間ではない。
 法が裁かないなら、自らの手でと、考えるのが正常。
 この思考こそは、まさしく正義。
 時に、法は悪となる。
 遺族感情に、理論・慣例・理屈は通用しない。
 その心が伝わらない、その感情が理解できない政治家は・・・、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月15日 (土)

法律とは?真実とは?天才とは?

 人を殺してはいけません。
 物を盗んではいけません。
 人を騙してはいけません。
 人としては当たり前の事。
 法律というものがなぜあるのか?
 人は本来、殺し、盗み、そして騙す生き物だからだ。>

-----------------------------
 この世には、真実が存在する。
 その真実を口にした時、人に信じてもらえるか?
 信じてもらえなかった時、それは真実ではなくなり、他人によって都合のよい真実が作り出される。
 真実とは、誰が発言したかによって決まる。>

-----------------------------
 天才がこの世に生まれる。
 子供のころ神童と呼ばれ、飛び級で学校を卒業する。
 しかし、最近の神童は可能性を秘めていない事の方が多い。
 そして大人になると、やはり普通の人。
 例えば、10歳で高校教育をマスターし、12歳で大学教育をマスターする。
 例えば、ある子供が、独学で高音質の完璧な蓄音機(レコードプレーヤー)を作り出す。
 しかし、何れも、閃きでの達成ではなく、既にある論理を理解したにすぎない。
 小学校から大学までの学校教育は、年齢を経れば誰でも理解でき卒業出来る。
 蓄音器の発明も、独学とは実は名ばかりで、専門書等を見れば、極端ではあるが誰でも作ることが出来る。
 つまり最近の天才は、既にある論理を理解し現実化しているだけで、その先がない。
 今の文明を100とするなら、100までは直ぐに理解でき周囲を驚かせるが、101以上の事は当然この世に存在しない論理であるから、本人の閃きがない限り理解の仕様がない。
 勿論、今、神童と呼ばれている世界の天才児が、将来、今の文明を101にする可能性がある事も事実だ。>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月31日 (月)

ゆく年くる年/隣の芝生は青い!

 2007年も残すところ数時間です。
 2007年という年が、幸多き年だったと思う人、不幸な年だったと思う人、様々な人がいると思います。
 しかし、人の幸不幸は、それぞれ各個人の価値観で全く変わってきます。

 今年、他人と比べず、自分の今までの人生の価値観で、金や物、愛や情、健康など、そしてその大きさと、持ち合わせていなかった物事を新たに、また、再び得て幸せに感じた人もいれば、現状で持ちあわせていた物事を初めて、また、再び失って不幸と感じた人。
 それに対して、今年、自分が多くの物事を得て、自分の中では幸せに感じているにもかかわらず、その幸せを、他人と比べて不幸と感じている人もいるでしょう。
 つまり、考え方次第で、幸せと感じるか、不幸と感じるかという事です。

 そして自分の幸不幸は自己責任であり、だからこそ、現代では特にポジティブ的志向が必要で、さもなくば、自分自身が潰れてしまいます。
 しかし、個人での心身の活動にも限界があり、自己責任という社会的押し付けの風潮の中で、日本政府も現在の状況が、自己責任という言葉だけでは片付けられないという状況に陥っている事を認めざる得ない事も事実です。

 今年も相変わらず格差社会という言葉が飛び交いましたが、どんなに理想を唱えたとしても、世界中、そしてどの時代も常に格差社会です。
 インド独立運動家1869年生まれのマハトマ・ガンジーは、「西洋で言われてきた、最大多数の最大幸福という考え方を私は認めない。なぜなら、その考えは少数の人が犠牲になる事を前提としているからだ。私が目指す最大の幸福とは全ての人が幸せになる事である。」という言葉を残しています。

 『最大多数の最大幸福』という考え方は『功利主義』と言い、ガンジーが真っ向から批判している思想ですが、もともとこの思想を最初に唱えたのは、イギリスの経済学者・哲学者で1748年生まれのジェレミ・ベンサムという人でした。
 ガンジーはこのベンサムの唱えた功利主義を批判していますが、ベンサムの功利主義の真意は、個人にとって利益となるかどうかは道徳に基準し、その善悪の基準を、社会の利益、効用、公益、有用性にあるとする考え方であり、私利私欲を前提とする利己主義(エゴイズム)では決してなく、多数者の便益のための少数者の犠牲を支持しないものとしており、個人の快楽の総計こそが社会全体の幸福であるとしています。

 つまり、ベンサムの唱えた理想の功利主義は、1800年代1900年代、西洋の経済が大きく発展していく中で、経済の基本的基盤として都合の良い様にねじ曲げられ、『最大多数の最大幸福』と言う言葉だけが独り歩きし、その間違った功利主義をガンジーは批判しているのです。
 ベンサムの唱える理想の功利主義も、ガンジーの反功利主義も目指す所は全く同じであり、しかし両者の思想は理想であり、資本主義社会において勝ち組負け組が必ず出る経済発展においては、両者の思想は共に矛盾する思想となっています。

 いずれにしても、金銭物品所有の幸福は、現実的に、人の2倍3倍努力しようとやはり限界があります。
 そして、健康面の幸福もやはり限界があり、生活できるだけの収入がなければ、1日15時間だろうと16時間だろうと、生活できるギリギリの収入を得る為に、働き詰めで働かなくてはならず、当然、自分の健康を気遣っている余裕などなく、健康面にも負担を掛けざる得ません。
 ただ心の幸福だけは、簡単な事ではありませんが、ポジティブ的思考を鍛え、そしてポジティブ的に物事を考えられる様になれば、ある程度の幸福感と安らぎが得られます。
 そのプラスアルファーとして、両親や子供や配偶者、恋人や信頼できる人など、愛し愛される人が自分の傍にひとりでもいれば、心の幸福感は得やすくなります。
 『暗いと不平を言うよりも、自分が進んで灯かりを灯しなさい。』と修道女マザ・-テレサも言っています。

 そんなこんなで新年を迎えるわけですが、年が明ければ、「おめでとうございます」と言う言葉があちこちで聞かれます。
 新年が明ければ、なぜめでたいのでしょうか?
 どんな人も、とりあえずは命が年を越えたという事でしょうか。
 事情はどうあれ、命あってなんぼの人生です。
 生きていれば、何かしら辛い事もあります。
 しかし、辛いと感じるのは、それは生きている証拠です。

 自分の幸不幸を、人と比べて幸せと感じるか、不幸と感じるか。
 自分の幸不幸を、人と比べず、常にポジティブ的に考えるか。
 以前、『世界がもし100人の村だったら』という賛否両論を呼んだ本がありましたが、この本を読んで、他人の不幸を何とかしてあげたい、可哀想だなあと感じるのは普通の感情ですが、自分が不幸に見舞われた時にこの本を読むと、まだまだ自分は単純に恵まれているなあ、という感情が生まれるのも事実であり、それで自分の心が癒えるならそれはそれで良いという事で、自分の落ちた心を癒すために、そして自分の命を守ろうとする事が目的なら、マスターベーション的にこの本を利用する事もある意味間違いではないという事です。
 要は、自分の心が幸せと感じれば、それで良いのです。

 さて、今年最後の記事という事で、反芻する事なく書いたため、記事自体が支離滅裂気味になってしまいましたが、とにかく人生楽しく生きるには、生きている証拠である溜まったストレスを、自分の将来を無駄にしない、そして他人に迷惑をかけない如何なる方法でも良いので、何よりも先に解消し、そして常に心を整理しておくと言う事が大切であると思います。
 それが、心の幸せと心のゆとりに繋がります。
 心の操縦はなかなか難しいですが・・・それが理想です。
 また、手っ取り早く何も考えず、「何事も何とかなるさ」という、ポジティブ的思考に入る前のワンクッションもありです。

 最後に、情報こそ、現代日本人の生きる術です。
 これだけは、どんな日本人にも平等の事柄です。
 知っているのと、知らないのでは、大きく人生の損得を左右します。
 間違いありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月13日 (木)

飲酒運転を当たり前の様に繰り返し無意味に年齢を重ねるあなたへ/飲酒運転で人を死なせた場合、苦しむのは被害者家族と加害者家族です

 今年も師走に入り、忘年会シーズンとなっている。
 忘年会を楽しみにしている人、上司との付き合いでイヤイヤ参加する人、色々いるとは思うが・・・。
 いずれにしろ、忘年会では酒を飲む事になる。
 そうなると当然、飲酒検問が各所で行われる事になるが・・・。

 2006年8月、福岡市東区で福岡市職員が飲酒運転し、親子5人が乗ったRV車に後方から追突、さらに逃走し、幼い3人の子供が亡くなった。
 その後、市職員の加害者は、危険運転致死傷罪、負傷者救護義務違反などの罪で云々・・・職を失い・・・と、これは一例。

 さて、刑事(裁判)での判決後、加害者は交通刑務所(通称)で罪を償えばよい。
 しかし、民事(裁判)では・・・。
 まず間違いなく、加害者は、多額の損害賠償金を、被害者家族に支払わなくてはならない。
 しかし、この損害賠償金を支払うのは、加害者本人とはならない。
 なぜなら、加害者本人は、交通刑務所で服役する事になり、まとまった収入が見込めないからだ。

 つまり、この多額の損害賠償金を支払うのは、実質、加害者家族という事になる。
 被害者家族宅への数十回に及ぶ謝罪、被害者家族への多額賠償金の支払い、そのほか被害者家族へすべき事多数、これら全てが、加害者家族へと重くのし掛かる。
 言ってみれば、加害者本人は、交通刑務所である意味、快適な暮らし・・・。

 要するに、飲酒運転を繰り返す当事者は、他人はどうなってもよいという考えなのだ。
 日頃からそういう意識であるから、飲酒運転を繰り返す。
 ならば、飲んで車に乗る直前に、自分の家族の末路を想像してみるがよい。
 それは、悲惨な末路だ。
 自分の家族は、加害者家族となり、世間からは白い目で見られ、多額の損害賠償金に追われ、一家は離散、家族の中から自殺者まで出るかも知れない。

 皆さんの家族の中で、日頃から飲酒運転をし、何度注意しても家族の注意を当事者が聞き入れてくれない、そう感じて、毎日気苦労をされている方もいるかも知れない。
 そう感じている方は、こう考えると少しは楽になるかも知れない。
 『事故を起こさないうちに、飲酒検問で捕まって、免許がなくなれば・・・』と。
【酒酔い運転:25点免許取り消し、酒気帯び運転(0.25未満の場合):6点免許停止】

 勿論、最も苦しい思いを一生背負う事になるのは、被害者家族である事は言うまでもないが。

 参考までに、飲酒運転により事故を起こしたために自動車保険の賠償責任保険が支払われない事は、被害者保護の観点から無いとされている。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年9月20日 (木)

警官の義務/命を張って初めてプロ組織と言える!警察とは、決してアマチュアではない!

『一国ハ家ナリ、政府ハ父母ナリ、          
人民ハ子ナリ、警察ハソノ保傅ホフナリ』

WMP/ココログ「いづれの御時にか・・・」内/視聴無料
音声及び画像が途切れる場合はダウンロードを終えてから再生

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月26日 (日)

聖者の為に施しを・・・/頼れる物は一体何だ?そいつは金だ。そして、銃だ。このふたつがありゃ天下泰平だ。

聖者の為に施しを
死者の為には花束を
正義の為に剣を持ち
悪漢共には死の制裁を
而して我等、聖者の列に加わらん
サンタマリアの名に誓い


『お目当ての十字章から、マニアが喜ぶもろもろまで盗掘屋冥利に尽きる宝の山だ。』

「色々と考えたんだけど・・・。」

『あぁ?』

「そいつは、ここに置いて行こう。」

『おぃおぃ、頼むぜ。
人の物を盗るのはいけません。ってか?
聖人君子にでもなったつもりかい?』

「そう言うんじゃないんだ。
その勲章は、その人がやってきた事の証だろ?
勝手に剥ぎ取る権利はないよ。
その勲章を手に取る権利があるとしたら、それはこの人達だけだ。
そうだろ?
その遺体の傍らに落ちていた。
艦長は肌身離さず家族の写真を持ってたんだ。
艦長は家族を残してここへ来た。
僕等から見れば、勲章はただのアンティークだが、残された人達にとっては金に替えられない思い出だ。」

『ふ~ん。
アンタはそう言う風に考えるんだ。
なるほどね。
場所が場所だしな。
こういうムードで話すのがぴったりの話がある。
少しばかり秘密の小話を聴かせてやるよ。
質問をしようか?
コイツとコレ、このふたつは一体何だろうね?』

「勲章と、人間のがい骨だ。」

『違うね。
コレはモノだよ。
トコトン意味を還元していけば、残るのはその言葉だけだ。
モノって言う単語だけだ。
そこん所で改めて価値を付け直すとしたら、それは思い出なんて世迷い言じゃねえ。
その価値は、万人が認める共通のテーマだ。
金だよ。
それ以外の価値なんぞ、感傷だらけの戯言だ。』

「金は・・・、神か?」

『力さ。
神よりよっぽど役に立つ。
こいつを除いて何に価値を認めるんだアンタは?
神か?愛か?笑わすぜ。
私がクソガキ時分に地べたを這いずり回ってたあのクソ溜めじゃ、どういう訳か神だの愛だのはいつも品切れでね。
物の分からねえ時分には、神様に泣いてすがったりしたものさ。
まあ、そいつを信じられたのも、無実の罪でオマワリに半殺しにされた夜までだ。
貧乏地帯に住んでるってだけの理由だったのさ。
力もねえ。
神もいねえ。
頼れる物は一体何だ?
そいつは金だ。
そして、銃だ。
このふたつがありゃ天下泰平だ。』

「嫌な事聞いたな。悪かった。」

『うるせぇ。
同情が欲しくて言ってんなら、もっと色つけて話すよ。
要するに人生の刃の上じゃ、大切なのはそれくらいしかねぇって話だ。
正常位じゃ誰もいけねぇんだよ。
それともうひとつ、
パームツリーの通りに住んでる金持ちの糞デブ、化粧を人生最大の仕事に考えるバカ女、そういったクソ偽善者達と同じ視点でアンタに話をして欲しくないんだ。
仲間に淫売扱いされるくらい辛い事はないから。
だから、アンタがまた正常位の話を蒸し返すなら、アンタは仲間じゃなくなるよ。
その時、私・・・、アンタを殺すからね。』

「あぁ、分かった」

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月13日 (月)

ある旧日本軍兵士の遺書より
『一億の人に一億の母あれど・・・』

『遺書

   陸軍中尉 山下 瀞命
   昭和十九年十二月七日
   サイパン島にて戦死
静岡県出身 二十三歳  

父上母上様
瀞は幸者でした 喜んで笑って行きました
最大の親孝行も致しました 安心して行きました
専門教育迄受けさせて戴き我儘をやって来ました
故郷の山河、浜名の湖水に、遠州灘に、瀞の魂は幸福に寝ってゐます
姉様楽しき日を御祝致します
満雄、後は賴んだぞ
士朗、俺の分まで孝行してくれ
益雄、しっかり勉強して偉い人になれよ
多可士、御母様の手傳をしなさいよ
悟朗よ、益雄、多可士の面倒を見てやれよ
瀞様は皆を何時もあの靑空で見てゐますよ
  一億の人に一億の母あれど
   吾が母に優れる母あらめやも

御母様古賀幸子様に宜しく御傳へ下さい
       では さやうなら
(原文のまま)』

 現代社会において、非戦を訴える事は大切。
 日本人の中には、日本国は将来、自衛のために軍を保有するべきだと考える人がいるが、しかし、そんな考えを持っている人の中に、自分は戦争には行きたくないという矛盾した考えを持っている人がおり、そうすると一体誰が自衛戦争に行くというのか?
 軍は持つべきだが、自分は戦争に行きたくない。
 そんな人間こそ、もっと学ぶべきだ。
 戦争というのは、それぞれの国がそれぞれの正義を信じて殺しあう。
 戦争に、正義も悪もないのだ。
 戦勝国も敗戦国も悲惨な末路を辿る事になる。
 そして、安倍総理大臣は、悲惨な歴史を繰り返そうとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年8月12日 (日)

広島市長秋葉忠利氏の平和宣言を安倍内閣総理大臣はどう聴いたのか?広島・長崎の思いは?

正式名称『広島平和都市記念碑』
通称『原爆死没者慰霊碑』


-慰霊碑・碑文-
『安らかに眠って下さい
過ちは
繰返しませぬから』


平 和 宣 言

 運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。

 落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。

 14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。

 それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。

 しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。

 こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。

 しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。

 世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。

 我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。

 唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

 被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。

2007年(平成19年)8月6日

広島市長 秋 葉 忠 利

 以上、2007年(平成19年)8月6日広島市長秋葉忠利氏による、安倍晋三内閣総理大臣を前にした平和宣言より。

 果たして、安倍晋三氏の心中は?
 これまでの安倍氏の政策を見ていると、おそらく広島市民、長崎市民の思いは、残念ながら安倍氏には届いてないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月12日 (木)

ドラマ『越境』より/国民性による個人の存在意義と命の価値観の相違!

 パラレルワールド(現実世界と表裏一体のもう一つの現実世界)からやって来たユリコ。ユリコと記者との会話。
記者 「あなたは・・・、ゆりこさんを・・・?まさか・・・!、殺して入れ替わった?」
ユリコ 「人を殺して何が悪いんです?
 あなた達は、人の食べ物を奪わないと生きられない苦しみを知らない。私はそんな国から来た。
 ええ!私は自分が生きるためにあの人を殺す!・・・でも、殺せなかった。」
記者 「殺せなかった?」
ユリコ 「遺書がありました。『人気がなくなって、全盛期のように持てはやされる事もなくなった』。それが・・・、彼女には耐えられなかった様でした。
 馬鹿な女!そんなちっぽけな見栄の為に、命を捨てるなんて・・・。
 戦争しかなくて食べる物もない!思いを口に出来ない国だってあるのに・・・。自分がどんなに幸せか気付かない人。
 ・・・でも、私だってこの国に生まれていたら、あの人と同じ様な馬鹿な女になっていたかも知れない。私は彼女の人生を生き抜いて見せる!決して無駄にはしない!・・・そう決心して、彼女を土に埋めました。」

【テレビドラマ『越境』より】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 7日 (木)

ニコロボ
外部サイト(別窓で開きます)/YouTube動画/視聴無料

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月16日 (水)

SEXY VOICE AND ROBO(VOICE3)ニコ

 親の言う事ってよく分からない。
 みんなと同じでなきゃダメだとか言っておきながら、人とは違う能力を伸ばせ。
 と、言ったりする。
 一体どっちなんだ?
 特別な能力を身につけた孤独な人生がいいのか?
 それとも、みんなと同じで安心だけど、平凡な人生がいいのか?
 泣きたいほどの孤独と、何もない平凡な自分になってしまうのと、どっちが怖いんだろう?

<ドラマ:SEXY VOICE AND ROBO(VOICE3)ニコ>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

SEXY VOICE AND ROBO(VOICE2)ニコ

 私も、取り替えられない人に出逢えるのだろうか?
 もし、そんな人に逢えたなら、どんなに心強く生きていけるだろう。
 逢えるかどうか分からないけど、逢えなくても、どこかにそんな人がいると思っただけで、どんなに明日は楽しいだろう。
 そっか!それが・・・、恋愛か。

<ドラマ:SEXY VOICE AND ROBO(VOICE2)ニコ>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

SEXY VOICE AND ROBO(VOICE1)ニコ

 私は、一人で生きてるんじゃない。
 だから、この世には損だと分かってても、踏み込んでしまう一歩がある。
 それは、いい事なのか?悪い事なのか?誰にも分からなくて・・・。
 だから多分、それは自分で決めなくてはいけない一歩で・・・。
 私は生まれて初めて、生きるのって怖いと思って・・・、泣いた。

<ドラマ:SEXY VOICE AND ROBO(VOICE1)ニコ>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月11日 (金)

フジ系ドラマ『鬼嫁日記いい湯だな』に視聴率で押される、日テレ系ドラマ『セクシーボイスアンドロボ』

 若手俳優発掘に定評のある日本テレビですが、13歳の大後寿々花と22歳の松山ケンイチの共にドラマ初主演で起用した『セクシーボイスアンドロボ』が苦戦しています。
 視聴率は、第1話中村獅童をゲストに迎え12.5%、第2話村上淳をゲストに迎え8.9%、第3話香椎由宇をゲストに迎え6.9%、第4話市川実和子をゲストに迎え7.0%、第5話黒川智花をゲストに迎え6.9%と、第1話で10%を超えたものの、その後は1桁台を横ばい状態です。

 『セクシーボイスアンドロボ』は、毎週火曜日22時から放送されていますが、裏のフジテレビ系は『鬼嫁日記いい湯だな』が放送されています。
 2005年に放送された『鬼嫁日記(シリーズ1)』の印象(全11話平均視聴率15.4%)が視聴者には強く残っている事と、観月ありさやゴリ、加藤茶など、有名俳優によるハズレのないドラマを視聴したいという視聴者の心理が働いているものと思われます。
 また、『セクシーボイスアンドロボ』というドラマタイトルから、セクシー系のドラマではとの勘違いをしている視聴者もおり、親が子供に見せないという傾向から倦厭けんえんされているとも思われますが、実際は若年層向けのドラマと言ってよいでしょう。

 『セクシーボイスアンドロボ』の原作は、黒田硫黄の漫画作品で『小学館スピリッツ増刊IKKI』に連載され、平成14年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門で大賞を受賞している作品です。
 原作漫画とテレビドラマとの各人物設定は多少異なっていますが、ニコとロボの設定はほぼ同じと言ってもよいと思います。

ハヤシ二湖ニコ(大後寿々花)
コードネーム:セクシーボイス
 スパイ・占い師志望の14才の女子中学生。
 コードネームは「セクシーボイス」。
 七色なないろの声の持ち主で、声質や喋り方から、相手の性格や容貌まで判断できる。
 好奇心旺盛で、観察眼・洞察力共に長けており、謎の組織で表むき骨董屋「地蔵堂」を営む女主人真境名まきなマキ(浅丘ルリ子 )から、人探しや事件解決を依頼され、子分のロボ(松山ケンイチ)と共に依頼解決に臨む。
 正義感は強いが、どこかクールで世の中をやや斜めに構えて見ており、しばしば独特の独り言でその思いが吐露される。
 5月15日(火)放送予定のVoice6(第6話)では、いよいよニコの「今救えるのは、宇宙で私だけ。」と言う名セリフが飛び出す。

 『主演のニコを演じているのは、1993年8月5日神奈川県出身13歳の大後寿々花。
 大後寿々花は、映画『北の零年』小松原多恵・幼少期役、ハリウッド映画『SAYURI』サユリ・幼年期役、映画『バルトの楽園』志を役など、各映画のストーリー上、極めて重要な役を演じ、スクリーン上では既にその名は知られています。
 連続ドラマ出演は、2002年「ごくせん(第1シリーズ)」、2004年「Dr.コトー診療所」、2005年「あいくるしい」、2006年「Dr.コトー診療所」などに出演していますが、連続ドラマでの主演は今回が初となっています。
 また、2005年には日本映画批評家大賞新人賞(小森和子賞)も受賞しています。』


須藤スドウ威一郎イイチロウ(松山ケンイチ)
コードネーム:ロボ
 ロボットオタクの23歳会社員。
 コードネームは「ロボ」。
 スケベで女好き、理工系に長けている。
 テレクラでサクラをしていたニコが、姉の一海かずみを装っていた事から、ロボがその声にだまされた事をきっかけに、ロボが一海に恋をし、その後、ニコの子分になる。
 自宅には大量のフィギュアを飾っており、特に『マックスロボ』というアニメが大好きで、事あるごとに必殺技名をオーバーアクションと共に叫ぶ為、周囲から呆れられている。
 愛と勇気と正義を主張し、困っている人がいるとどうしてもほおっておけない性格で、そこをニコに乗せられ、結果、依頼解決に臨む事になる。

 『主演のロボを演じているのは、1985年3月5日青森県出身22歳の松山ケンイチ。
 松山ケンイチは、映画『NANA』岡崎真一・シン(BLACK STONES)役、映画『Death Note』L・竜崎役など、こちらも各映画のストーリー上、極めて重要な役を演じ、スクリーン上では既にその名は知られています。
 連続ドラマ出演は、2002年「ごくせん(第1シリーズ)」、2003年「キッズ・ウォー5」、2005年「1リットルの涙」などに出演していますが、連続ドラマでの主演は今回が初となっています。
 また2007年、映画『男たちの大和/YAMATO』で第30回日本アカデミー賞新人俳優賞、映画『Death Note』で第30回日本アカデミー賞優秀助演男優賞などを受賞しています。』


真境名マキナマキ(浅丘ルリ子)
謎の組織で表向き骨董屋「地蔵堂」女主人
 ニコに依頼を与える真境名は、裏では闇の裏社会と精通しており、彼女の周辺では様々な事件が起きている。
 依頼事件が解決すると、ニコに報酬(金銭だけとは限らない)を与え、その後、ニコの疑問や思いに対し名言や助言を述べる。


Voice3(第3話)お歯黒女より
 ニコ任務完了後、ニコが真境名に、お歯黒女を探すようにと仕事を仕向けられた事についての、真境名とニコとのやり取り。
ニコ「そう言うの、なんかイヤだなあ・・・。」
真境名「何が?」
ニコ「人に無理やり押し付けられるの。」
真境名「押し付けられるのがいやなんだ?」
ニコ「誰だってイヤです。自分を殺すって言うか・・・、自分がなくなるって言うか・・・。」
真境名「自分のやりたい事をやるのが、自分らしく生きるって事だと思ってるんだ?」
ニコ「違うんですか?」
真境名「違うわね。全然違う。気の進まない仕事でも、押し付けられた事でも、自分のやり方でやり通す。それが自分らしく生きるって事。山野月子(お歯黒女:香椎由宇)さんのお父様が、是非渡して欲しいって。(報酬の100万円をニコに手渡す)」
ニコ「頼んだのお父さんだったんだ。」
真境名「娘が子供をさらってないって知って、ホっとしたって。心からお礼を言ってくれって。『ありがとう』。」
ニコ「ありがとうと、お金と、両方貰えるんだ。」
真境名「そう。それが仕事。」
(ニコ:エンディング独り言)『結局、お金は使い切れなかった(残りは寄付)。10年後の私は元気だろうか?元気の出る魔法の電池は、多分、「ありがとう」と言う言葉だ。月子さん、新しい人生ゲームは楽しいですか?』

Voice4(第4話)かんにん袋
 ニコ任務完了後、ニコが、真境名に呼び出された時のふたりのやり取り。
真境名「なあに、その顔?」
ニコ「結局、あの教授もそのままだし・・・、かんにん袋(宇佐美好子:市川実和子)さんも・・・結局我慢したままなんですよね?なんか・・・納得いかないと言うか・・・。」
真境名「それでいいんじゃないの?」
ニコ「え・・・?。」
真境名「我慢するのもひとつの方法よ。そうすれば、日々の事に紛れて、どうでもよくなってくる。それでいいんじゃない?」
(ニコ:エンディング独り言)『どんな事だって、いつか役に立つ日が来ると、無理やり自分に言い聞かせるのも、ひとつの方法なのか?そうすれば、生きていくのも、少しは楽になるかも知れない。何事も無駄なんて無い。そう思った。』

Voice5(第5話)うしみつ様
 ニコ任務完了後、ニコと真境名のやり取り。
真境名「喜んでたわよ、理事長。変な事がピタッと止まったって。報酬は、高校入試免除みたいよ。」
ニコ「遠慮しておきます。」
真境名「あら、そう。」
ニコ「でも何でみんな、あんな人形の事信じてたんだろう?中にはインチキだって分かってた人もいたかも知れないのに。」
真境名「インチキだろうとなかろうと、何かにすがったり頼ったり寄りかかったり、よじ登ったりするものよ。でもそれは、悪い事じゃないわ。みんなそんなに強くないもの。」
(ニコ:エンディング独り言) 『あれから、あっという間にうしみつ様はすたれ、代わりの物が生まれた。
 一海ちゃん(ニコの姉:村川絵梨)にはラブレターが届いた。相手は、実習先の生徒から(一海「やっぱりもう1回ガンバロ。」)。
 あの5人は罰として1年間、花の手入れをやる事になった(うしみつ様(玲:黒川智花)「ねえ、この種さ、幸せを呼ぶ種だって言って売ったらさあ、流行るかなあ?」)。でも、またもや何かを計画中。
 仕事をサボって嘘をついたロボは、当然信じてもらえず。
 【ニコ「むーちゃん(ニコの同級生)!」。むーちゃん「あっ。ねえ、どうしたの?学校休むなんて。」。ニコ「うん、高校行ってた。」。むーちゃん「エ~、ウソだあ~。」。】
 本当の事を言った私も、同じく信じてもらえなかった。
 私が信じてるものって・・・一体?何なんだろう?』
<敬称略>

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007年3月 9日 (金)

鯨(くじら)を食べる日本人と、牛乳を飲む欧米人!罪深き人種はどっち?

 現在、商業捕鯨、調査捕鯨、生存捕鯨と、捕鯨を行っている国々は、日本、ノルウェー、フェロー諸島民、北極圏住民などです。

 欧米諸国の人々は、「クジラは知能指数が高いから殺して食べてはならない」という詭弁を隠す為の建て前として、「クジラの数が激減しており、絶滅の危険があるからクジラは殺してはならない」と都合の良い持論を展開しています。

 数が多ければ殺しても良く、数が少なければ殺してはならないという、全く命を等しく考えず、全く命を軽視した身勝手な考え方です。

 欧米諸国の人に反論する為に、日本人がよく比較対照として持ち出す動物が肉牛です。
 が、ここでは乳牛を例に出したいと思います。
 欧米人は、日本人に比べて牛乳(ミルク)をよく飲みます。

 人間を始めとする哺乳類は、妊娠しなければ乳を出しません。
 当然、牛も同様です。
 つまり、人工授精により牛を無理やり妊娠させ、搾乳しているのです。
 乳を搾るために、妊娠させているのです。
 そして、数回の妊娠により、乳の出なくなった乳牛は廃用牛として肉になります。
 柳沢厚生労働大臣の「女性は子を産む機械」という発言がありましたが、欧米人にとってまさしく牛は、牛乳を生み出す機械と化しているのです。

 そんな欧米人に、捕鯨について云々と日本人が言われ続けるのは、全く都合の良い押し付け主義です。
 そして、日本人によって捕獲されたクジラは、肉、ひげ、皮、脂、骨など、食用以外にも生活用品として加工され、捨てる部分がない動物なのです。
 欧米人は、肉を食べ、植物を摂って生き続けています。
 当然、日本人も同様です。
 動物にしろ、植物にしろ、人間は命を奪って生きていかなければなりません。

 また、ベジタリアンという人間も、世界には数多くいます。
 信じる宗教で禁止されているなど、それなりの理由があるならまだしも、動物の命を奪ったら可哀想だからなどという全く無知な考え方で、命の本質をはき違えて生きている人たちです。
 植物の命をしっかりと奪っている事にも気付かず、動物製の生活用品を使っている事にも気付かず。

 人というのは、動植物の命を奪って生きていると言う事を自覚していれば、ただそれだけで良く、食べられるという事にその都度感謝していればそれだけでよく、食べ物を残さなければそれで良いのです。
 食物連鎖のトップに君臨する人間だからこそ、それを感謝という言動で示すだけでよく、罪深く感じる必要など全くないのです。
 他の動植物の命を奪って生きる事は、自然の摂理だからです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月 8日 (木)

ブランド好きの日本人!それはそれで良いのだが、それを供給する老舗ブランドは、今や・・・。

 近年、頻繁に行われている企業買収。
 堀江貴文、村上世彰などが欧米に倣い、そしてそれを積極的に行い、多くの日本人に嫌悪感を抱かせました。

 さて、ここにLVMHというひとつの企業があります。
 LVMHの2005年の売上高は、139億1千万ユーロ(約1兆9,041億円、2005年度平均換算レート1ユーロ=136.89円)となっており、LVMHだけで1兆円産業になっています。
 LVMHは、1987年に老舗バッグメーカーのルイ・ヴィトンと、老舗酒造メーカーのモエ・ヘネシー社が合併し誕生した企業ですが、その後、LVMHは企業買収されます。

 LVMHを買収したのは、ベルナール・アルノーというフランス人でした。
 建設会社の社長を父に持つアルノーは、1984年、170億円でクリスチャン・ディオールの買収に成功します。
 そして先述したように、1987年、アルノーとはまだ無関係のLVMHが誕生しています。

 アルノーにとって、クリスチャン・ディオールの買収は、結果的に、LVMH買収の布石という意味合いになりました。
 その後、25%のLVMH株の取得に成功したアルノーは、LVMHを手に入れました。

 アルノーの業種を意識しない、ヨーロッパ老舗ブランドのその後の買収により、LVMHの業績が右肩上がりなのは言うまでもありませんが、その他、一因となっているのが、LVMHが外注(朝鮮日報記事をしているという事です。
 つまり、これまで、例えばヴィトンの製品の多くがフランス国内で、熟練職人によって製造されていました。
 しかし近年、その多くの製品が外注され、その外注先が人件費の低いアジアに集中しているのです。

 近年の老舗ブランド製品は、LVMHによる品管によって厳しくチェックされているため、品質は保たれていますが、その製品の多くは、ヨーロッパ人ではなくアジア人が製造しているのです。
 そして、それを買うのはブランド好きの日本人であり、今やヨーロッパブランドは、需要供給共にアジア主導になっていると言っても過言ではありません。

 従って、今のところ品質自体は劣化していないものの、ヨーロッパブランドの伝統は、実は目に見えない所で地に落ちているのです。
 寂しい現状です。


LVMH(LVMH Moët Hennessy Louis Vuitton S.A)
モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン
 1987年ルイ・ヴィトン社とモエ・ヘネシー社の合併により設立されたフランス企業。
 50社以上にも及ぶヨーロッパ各国の高級ブランド企業をその傘下に収めている。
 モエ・エ・シャルドン/ドン・ペリニヨン/メルシエ/ヘネシー/ルイ・ヴィトン/ロエベ/セリーヌ/ベルルッティ/ジバンシー/ケンゾー/エミリオ・プッチ/フェンディ/ダナ・キャラン/クリスチャン・ディオール/タグ・ホイヤー/デビアスLV/DFS(免税店)など

| | コメント (0) | トラックバック (24)

2007年2月19日 (月)

井上靖:名言!

『努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る』
井上靖

 井上いのうえやすし
 1907年5月6日生まれ、1991年1月29日没。
 京都帝国大学文学部卒。
 小説家、詩人。
 1950年、『闘牛』で第22回芥川賞受賞。
 代表作は、『天平の甍』、『風林火山』、『しろばんば』、『孔子』。
 現在、生誕100周年を記念し、『風林火山』がNHK大河ドラマで放送されている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月 4日 (日)

女性は本能的に男性を選ぶ!愛だの正義だの、きれい事を並べつつも、その本質は本能に支配されている!

 「人間の頭蓋骨と金」
 「この2つは、物だ」
 「とことん意味を還元していけば、残るのはその言葉だけ」
 「『物』という単語だけ」
 「そこで改めて価値を付け直すとしたら、その価値は万人が認める共通のテーマ」
 「金だ」
 「それ以外の価値など、感傷だらけの戯言」
 「金は力」
 「神よりよっぽど役に立つ」
 「金があれば天下泰平だ」
 「人生の刃の上では、大切な物はそれ位しかないという事」
 「正常位じゃ誰もイケねぇんだよ」

『BLACK LAGOON』より引用

 日本人の中にも、少なからずこの様な考えを持っている人間がいる事であろう。
 例えば、ホームレス、医療弱者、高齢者、無職など。
 彼らにとって金とは、命の綱である。

 仕事に恵まれている労働者、親に食べさせてもらっているニート、夫・妻に対して経済的に依存している主婦・主夫、会社経営に成功している社長、親に食べさせてもらっている子供達、セレブ家庭の子息女、などなど、不況で経済的に厳しくなったと言われながらも、明日の命を心配する事なく、ほとんどの日本人が何も考える事なく意識する事なくへいへいぼんぼんと暮らしている。

 世界に目を向けると、純粋な子供が、一独裁者・一指導者の国に生を受けたため、都合の良い教育を受け、それを『正義』と教え込まれ、そしてその『正義』を信じて銃を持つ。
 彼らにとって、その行動こそが『正義』であり、その言葉は神の言葉だ。
 しかし、その『正義』を貫き通した先には、『死』が待っている。

 最近は、命も金で買える時代である。
 裕福な夫婦で子供が出来なければ、高額な不妊治療を何回も受ける事が出来る。
 ある国の人間は生活のために臓器を売り、それを買うのは先進国の人間だ。
 貧しい国の人間は、その金で家を建て、健康な臓器を手に入れた裕福な人間は命が救われる。

 結局、愛だの正義などときれい事を言う人間は、今までの人生で泥水を啜った事がない人間なのだ。

 そう考えると、古来より、女性の多くがセレブ男性に対して大いに興味を持つのは、自然の摂理なのかもしれない。
 太古の昔、狩猟に長けていた男性は女性に人気があった。
 女性にとって生きる事とは、子孫を残すと言う事であり、それは本能的に備わっている事である(女性は産む機械であるとは決して述べてないので誤解の無きよう。自然界における摂理の話。地球上で生きうる全ての生物、全ての雌は、有能な雄を選ぶという話)。
 つまり、狩猟が下手な男性は、毎日獲物を持ち帰るという保障がなく、女性にとって食いっぱぐれる危険があり、それは即死に直結するからである。
 現代に当てはめると、それはまさに金であり、低収入の男性が女性に人気がないというのは、自然の摂理なのである。

 人間は、性欲、食欲、睡眠欲に支配されている。
 性欲は子孫繁栄に繋がり、食欲は健康体を維持するための本能であり、健康体を維持しなければ子孫繁栄に繋がらない。
 食欲を満たすには、やはり金が必要である。
 睡眠欲も健康体を維持するための本能であり、健康体を維持しなければ子孫繁栄には繋がらない。
 睡眠欲を満たすには、安全な場所の確保が必要で、それにはやはり金が必要である。

 金というのは、人間が生きていく上で必ず必要であり、人間が生きる理由というのは、最終的には子孫繁栄を目的としており、金とは子孫繁栄に必要な道具と言う事になる。
 命は過去から繋がっているもので、後世へと繋げるものである。

 最近、日本人女性が、柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」という発言に対して敏感に反応した。
 私も、ブログで柳沢厚生労働大臣の発言に対して痛烈に批判した。
 しかし、女性は柳沢厚生労働大臣の発言を否定しつつも、いざ自身の事になると、有能で高収入の男性を結婚相手に選ぼうとする。
 それは、やはり女性の根幹である本能的な部分(上記記述)で、子孫繁栄の鍵は女性にあるという事を、無意識のうちに女性自身が認めているという事であり、決して否定できる事ではない。

 もし、女性の中で、結婚相手を選ぶ時、相手男性の経済力を全く考えないと言う人がいたなら、その女性は、愛のみに生きるという、純粋ではあるのだろうが、全く無知で世間知らずという事になる。
 そんな女性は、今までの人生で、経済的に泥水を一滴も啜った事のない、食う事にも着る事にも苦労した事がなく、自身で金も稼いだ事のないお嬢様なのだ。

 いずれにしても、この世は、正論だけで生きる事は難しく、愛だの正義だの、自身の物差しでものを言う人間は、必ず誰かに守られて生活している人間であり、綺麗事を並べてものを言っていると、先の人生のどこかで必ず泥水を啜る事になるという事である。

 そして、愛だの正義だのと言う言葉を発して、他人を納得させる事が出来る人間というのは、ピラミッドの底辺の人間のみであると言う事である。
 金の大切さを誰よりも知っているからこそ、真の愛と正義を語れるのだ。
 地位も経済力もある人間がこんな言葉を発しても、誰もまともには受け止めない。
 全ての物事が金で繋がっているからだ。
 地位も経済力もある人間がこの言葉を発して世間に受け入れられるには、行動を伴なわなければならない。
 実業家の父を持っていたマザーテレサや、地主貴族層の父を持っていたナイチンゲールがそうであった様に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 1日 (木)

座右の銘『存在するということは・・・』

『存在するということは自分を創造すること』
声優/平野綾

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月28日 (日)

柳澤伯夫厚労相、『女性は産む機械、装置』発言!彼のような存在(発言)が、男性に対する女性の偏見を生む要因になっている!

『柳澤伯夫厚労相、女性は「産む機械、装置」
 柳澤伯夫厚生労働相は27日、松江市で開かれた集会で少子化対策に触れ、「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは1人頭で頑張ってもらうしかない」と述べた。
 厚労省は昨年12月、人口推計を下方修正。この時、柳澤氏は「子どもを持ちたいという若い人たちは多い。その希望に応えられるよう、できる限りの努力をしていきたい」と話していた。
 柳澤氏はこの日、自民県議の決起集会に出席し「これからの年金・福祉・医療の展望について」と題して約30分間にわたり講演。その中で出生率の低下に言及し「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械と言っては何だけど、あとは1人頭で頑張ってもらうしかない」と述べた。』
以上、[2007年1月27日20時10分]nikkansports.comより引用

 と報道各紙が伝えている。
 いま時、「女性は子供を産む機械だ」と発言する公人が居ようとは、柳澤伯夫厚生労働相は、全く品格に欠け、人として疑問が残る人物である。
 この発言が、女性を機械に喩え、比喩的に発した言葉だと弁解したとしても、差別的であると取られかねない発言自体が問題である。
 何より、女性を庇護するという気持ちが柳澤伯夫氏にはないのだろうか。
 女性を庇護しないにしても、せめて女性に対して気を遣う優しさくらいはあっても良いのではないか。
 さらに、男性としてのプライドはないのか。

 柳澤伯夫氏が大臣を務めている厚生労働省の公式ホームページプロフィールによると、彼の座右の銘は『交友須帯三分気』と紹介してある。

 もともとこの文章は、「交友須帯三分気、作人要存一点素心」という中国の古典『菜根譚さいこんたん』の一文であり、「友として交際するからには、ひと肌脱ぐ心意気を持たねばならない。その為には、純真な心を持つ事が必要である。」という意味である。
 しかし、柳澤伯夫氏が座右の銘で採用している文章というのは、「交友須帯三分気」という原文の前半部分だけであり、文章後半の『純真な心を持つ事が必要である』という文章が抜けているのである。
 つまり、柳澤伯夫氏は、友以外の人間の事はどうでもよく、さらに純真な心を持つ必要もないと言っているのと同じなのである。

 いずれにしても、柳澤伯夫氏の『女性は産む機械』という発言は、女性に対して全く配慮が感じられない軽率な言葉と言える。

 また、柳澤伯夫氏の様な男性が存在しているため、一部の女性が、全ての男性に対して一方的な偏見を持つようになってしまうのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月24日 (水)

日本の警察官よ目覚めよ!今、君達の真価が問われている!

『一国ハ家ナリ、政府ハ父母ナリ、          
人民ハ子ナリ、警察ハソノ保傅ホフナリ』

 この言葉は、日本警察の父であり、大警視(初代警視総監)であった川路かわじ利良としお(1834-1879)という人物が、警察精神の基本論語として残した言葉である。
 そして、この言葉は、警察と警察官の在るべき姿を示した川路語録のひとつであり、『警察けいさつ手眼しゅげん』に編纂されている。

 現在の日本警察官には、川路のその精神が果たして宿っているのであろうか?
 全くの他人である日本国民を守るという職務を全うするために、自らの命を懸けるという自発的意思を持った日本警察官は存在しているのであろうか?
 現在の日本警察官の内、一体何人が殉職覚悟でその職に就いているのであろうか?
 君達は、区役所や都庁に勤めている訳ではないのだ。

 そしてその緩みが、冤罪事件を招き続ける。
 さらに、飲酒運転、収賄、窃盗、暴行、傷害、強制猥褻、強姦、放火、強盗、殺人・・・、倫理秩序という言葉を知らない現代の日本警察官の犯罪。
 君達は、全く権力のない官憲ではなく、強大な権力を有し実行可能な官憲であって、官権というものをはき違えてはならず、常にそれを意識せねばなるまい。

 現代の日本警察官・・・、明治の官憲川路利良のこの言葉が、虚しく聞える・・・。

 ※保傅:日本国に於ける公共の秩序維持及び、円滑な国民生活維持を図る役割。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月21日 (日)

真の「プロ報道人」とは一体どのような人物を言うのか?報道カメラマン(故人)ケビン・カーター撮影『ハゲワシと少女』・・・。

『ハゲワシと少女』

 ケビン・カーターは、1994年にピューリッツァー賞(印刷報道等に与えられる米国最高権威賞)を受賞した南アフリカ国籍の報道カメラマンです。
 彼は、内戦が勃発していたスーダンに潜入(スーダン政府により国内内情流出が抑え込まれていた)しました。
 深刻な飢餓に苦しむ子供達の悲惨な状況を、世界に正確に伝えるためでした。
 ある日彼は、アヨドをいう村のはずれで、餓死寸前でうずくまっている1人の幼い少女を発見しました。
 その少女の背後にはハゲワシが迫っており、彼はその少女をすぐ助けようとはせず、カメラのシャッターを切り続けました。
 彼はその後ハゲワシを追い払い、少女は国連食料配給センターの方へよろよろと歩きだしました。
 この時撮影した写真で、彼はピューリッツァー賞を受賞しました。
 その後、彼に対して賛否の両論が浴びせられ、1994年7月27日、ケビン・カーターは自ら命を絶ちました。

-------------------------------

 私の主観ではありますが、もしもこの少女が、ケビン・カーターの実の娘であったなら、彼はすぐにカメラを投げ出し、そして少女を救出したことでしょう。

 つまり、全ての報道びとがリアルタイムに事件や事故に遭遇し、被害者である家族の命がいま奪われようとしている場合、全ての報道人は、実況付きでカメラを回し続ける事は決してなく、そしてカメラのシャッターを切る事も絶対にないという事です。

 報道人は、今まさに事件事故に巻き込まれそうになっている被害者が他人であるから、冷静にカメラを回し続ける事ができ、そしてシャッターを切る事が出来るのです。

 報道に携わっている方の中で、いま命を奪われようとしている被害者が例え家族であっても、まずはカメラのシャッターを切ってから、家族である被害者を助けに行くという報道人がいるなら、その報道人は家族を悪魔に売っているという事です。

 そして(こんな報道人は報道人とは言えない)、報道人の中で、いま被害者になろうとしている人が家族であるなら、すぐにカメラを投げ出し助けに行くと言い、逆に、いま被害者になろうとしている人が他人であれば、まずカメラのシャッターを切ってから助けに行くと言うような報道人がいるなら、その報道人は人間の命に差をつけているという事です。

 報道人は、プロの報道人である前に、人間であると言う事を何よりも先に自覚せねばなりません。
 目の前の命より重いものなどないのです。
 これを否定するなら、『報道人は被害者の命を糧に食っている』と言われる事になるでしょう。

-------------------------------

 問題の写真は、あえてここでは載せません。
 その写真は見せ物ではなく、文章でもその状況は十分に伝わると思ったからです。
 そして何より、この記事を書くにあたって、報道人の実情が分かりやすいという事で、『ハゲワシと少女』という報道写真を一例に挙げたに過ぎず、この写真から何かを読み取って欲しいと言う事を書いた訳ではないからです。
 そして、他の事件事故報道からも同じような事象が読み取れるからです。

 『百聞は一見に如かず』という言葉があります。
 しかし報道人というのは、この言葉を違った意味で認識しているようです。
 それが、真のプロと言えるのでしょうか?
 被害者が、被害者になろうとしている人が、自分の家族ならと考えれば自ずと答えは出るはずです。

ウィキペディア/ケビン・カーター
フリージャーナリスト・秋山久/第27回「ハゲワシと少女」のカメラマン自殺

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月15日 (月)

1月15日(月)ザ・ワイド、ある女性コメンテーターの発した無知なコメントを受けて!

 本題にはいる前に、1月15日のザ・ワイド(日テレ系)の情報番組の中で、妻が夫をバラバラにして殺害した渋谷の事件に関し、ある女性コメンテーターが、犯行に及んだに妻の鼻について、『昔の写真の鼻と今の彼女の鼻を比べると、今の方が鼻筋が通っていますね』などど、その妻が、いかにも鼻を整形していると言わんばかりのコメントをしていました。
 そのあと司会の草野さんが、『そうですね・・・。この妻は、夫に以前鼻を殴られて、鼻の骨を折った事がありますから』などと、慌ててフォローを入れられていました。
 つまり、この女性コメンテーターは、セレブであるというこの妻の状況を聞きかじりで知る程度で、その程度のリサーチでプロコメンテーター(公の場でコメントしているのだからプロ)としてコメントしているという、全く程度の低いコメンテーターとしか言い様がありません。

 先に断っておきますが、法を犯した犯人や容疑者に対して、一切擁護はしていませんので誤解の無き様願います。
 では、本題へ。
 最近、世間で勝ち組と呼ばれる家庭において、殺人事件が2件連続して起こっています。
 ワイドショーは連日挙って、この2件について伝えています。

 妹を殺害した兄に対しての報道は、親が医師であり、自身も医師にならなければならないと言う、勝ち組でしかありえない家庭でのプレッシャーに過度のストレスを感じ、それが積み重なって、些細な出来事を切っ掛けに爆発し犯行に及んだなどと伝えられています。

 夫を殺害した妻に対しての報道は、不倫を疑われた妻が夫に鼻を殴られ、鼻を骨折し、その後、夫によるDVが始まり、またその後の夫の不倫と借金など、妻が長期間絶えた結果、夫を殺害したというものです。
 またこの妻は、ブランド志向であり、夫の地位や収入に異常に執着し、そのため妻自身の意思で別れるという選択に踏み切れず、結局、殺害に至ったとも伝えられています。

 この2件の家庭は、言わばセレブであり、世間では勝ち組の部類に入るでしょう。
 ワイドショーや情報番組は、NEWSと違って、コメンテーターの主観で番組が出来ています。
 視聴者は、それを面白可笑しく視聴します。
 NEWSは、事件の経過を淡々と伝えるのみですが、ワイドショーは明らかに違います。

 その証拠に、内向的な人間が事件を起こした場合、『対人関係が上手く築けない人間だから事件を起こした。だからこういう人間は、表現の方法が分からないから事件を起こしやすい』とか、裕福ではない家庭に育った人間が事件を起こした場合、『そういう育ちであるからすぐに事件を起こし、そういう人間は事件を起こしやすい』とか、母子家庭で育った人間が事件を起こした場合、『片親だから、叱ってもらえる環境がなかったのでは』とか、裕福な家で育った人間が金融関係の事件を起こせば、『セレブな家庭で育っているから、何でも金で解決できると思っている』とか・・・。
 先の2件の事件の様に、医師の家庭に育ったから、そのプレッシャーで犯行に及んだとか、セレブな家に育ったから、ブランド品にしか興味を示せなくなっているとか、男性に対しても経済力や、世間で特に女性に支持される職業に就いている男性にしか興味を示せなくなっているとか、兎に角、ワイドショーのコメンテーターは勝手な主観でものを言います。

 貧乏な家に育ったとしても、裕福な家に育ったとしても、まともな価値観を身に付けている人間は沢山います。

 日本(人口1億2,700万人)には、内向的な人間は何千万人といますし、裕福でない人間も何千万人といますし、勝ち組の家庭の人間も当然何千万人といます。
 セレブはブランド品に執着すると言いますが、いまや女子高生でもブランド品を当たり前のように持っていますし、その女子高生達が人をすぐに殺すのかというと当然そうではなく、そうではないという事は、ブランド志向という犯人の妻の志向を、即殺人に結びつけるというのには無理があり、コメンテーターのコメントとしては不要な部分となり、それは慎むべき発言という事になります。

 内向的な人間だけが事件を起こしているのでしょうか?
 裕福でない人間だけが事件を起こしているのでしょうか?
 勝ち組みの人間だけが事件を起こしているのでしょうか?
 男性だけが、女性だけが事件を起こしているのでしょうか?
 どんな環境にある人間も、事件を起こしているという事です。

 聖職者ですら性的犯罪を犯し、教員ですら児童セクハラという行為を行い、警官ですら飲酒運転をして、高級官僚ですら汚職を働きます。
 自分は事件を起こさないとか、自分は殺されないとか、人間は勝手に思っているだけで、いつ自分が加害者や被害者になるかも分からないのに・・・。
 コメンテーターとて同じ人間です。

 何れにしても、法を犯した人は決して特別な人間ではなく、いつか自分もその立場になる可能性が決してゼロではないという事を自覚しておかなければ、墓穴を掘るのは自分自身であるという事です。

 コメンテーターの方はコメントする事が仕事で、番組サイドからこうコメントしてほしいと、自分の意思に反するコメントをせざるを得ない場合も多々あるとは思いますが、最低限、公の場では自分でしっかりとリサーチしてコメントすべきであると思います。
 受け売りのコメントなら、そこら辺のおばちゃんでも出来るのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月14日 (日)

座右の銘『今日あなたが無駄に過ごした・・・。』

 『今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である。』

 この言葉は、沖電気工業株式会社・OKI陸上競技部に所属する、鹿児島県出身の野呂かおり選手のプロフィール に記載されている言葉ですが、とても印象に残る言葉であると感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

自分の力を行使するわけでもなく、他力本願で誰かの死を願う。(まるで今の日本国民の様だ)

Justice?
There is no other word more loved by the people.
It's a wonderful word.
But, without exercising your own strength, you seek the death of others by another's hand.
The justice you're talking about smells pretty rotten too.
I can just smell the stink of blood.
Don't you think so?
Our lives are very light, like a candy wrapper.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月30日 (土)

細木数子さんのいじめに関する発言について!

 テレビ朝日系で、細木数子さんが『いじめ』について熱く語っておられました。
 全く一方的に発言しておられ、聞き手の古館さんは肯定するばかりで、何を言いたいのか全く分かりませんでした。
 話の内容も、あっちへ飛び、こっちへ飛び。
 具体的な例も示さず、無責任に。
 いじめをなくす為の細木さんの結論は、しっかりとした家庭を作り上げ親子間でのコミュニケーションを取る事だそうです。
 そんな事は誰でも分かります。

 細木さんの発言の中で、『いじめられている子達は強くなれ』、『いじめられる方にも責任がある』などとも発言されていました。
 その後、この発言に対して、細木さんが色々説明されていましたが・・・。
 この細木さんの2つの発言は、細木さんなりの解釈があったのでしょうが、しかし、今いじめに苦しんでいる子達も、当然テレビを見ているわけで、いじめられているストレスから、この2つの発言を深く考える状況になく、仮にに受けてしまったとしたら、その子達は一体どんな思いをするのでしょうか。

 テレビの影響力というのは、現時点でのネットよりもあると考えられ、それを踏まえて細木さんは発言をしているのでしょうか。
 とてもそうは思えません。

 いじめという問題はそう簡単な問題ではないのです。
 100のいじめグループがあれば、少なくとも100人の子がいじめられている訳で、その解決法も多岐に渡るという事です。
 つまり、100人いじめられている子がいれば、いじめの解決策はそれぞれ異なっており、100通りあるという事です。

 例えば、いじめを受けていたある子が、いじめグループのリーダーに対して殴り返していじめが無くなった。
 だからその方法が、別のいじめを受けて苦しんでいる子の解決法に使えるかといったら、そんな事はないのです。
 つまり、細木さんのいじめをなくす方法が、全てのいじめの解決法に繋がるかと言ったら、決してそうではありません。

 そしてもうひとつ、『自殺する子は、自分が蘇ると思って死んでいる』、『パソコンの世界と取り違え、リセットできると思っている』などと、細木さんは言っていましたが、親に「ごめんなさい」などという謝罪の言葉を遺書に残すような子が、細木さんの発言の様な軽率な考えを頭に浮かべて死を選ぶでしょうか?選ばないと考えるのが妥当です。

 子供はまず、いじめを受けてもいても、学校へは歯を食いしばってでも行かなければならないという大前提が頭の中にあります。
 それは、自分の将来への不安と、親に心配をかけたくないという気持ちからです。
 だから、子供達は、自分がいじめを受けていても学校に無理して通うのです。
 学校を休めば、親に自分の心を見抜かれるからです。

 学校へ行けば、耐え難い屈辱を受ける。
 学校を休めば、親にバレてしまう。
 結果、子供の選択肢として、学校へ行き続けるか、死か、2つの選択肢しかないのです。

 馬鹿馬鹿しいと思うでしょう。
 それは、あなたが大人だからです。
 子供達の頭の中には、学校を休むという選択肢が、知らず知らずの間に消去されているのです。

 いじめを受けて、すぐに泣いて帰るような子は、まだ救いようがあります。
 親が、すぐ異変に気付くからです。
 問題は、本当に親の事を想って、我慢し続ける子供です。
 このような子供は、『ある意味』、本当に親想いなのです(子供側の主観)。
 このような子供を、一部の評論家は、『親とのコミュニケーションが取れていない』とか、『素直に親を頼らない』とか、『こんな子供に育てたのは親の責任だ』とか、『家庭に問題がある』とか、本当に身勝手なコメントをします。
 その子の主観と意思を全く考えず、無視して発言しています。
 いじめという屈辱を受け続けている上に、評論家の身勝手なコメントによって苦痛を与えられ、身勝手な評論家は、そのコメント自体がいじめ行為であるという事にすら、全く気付いていません(いじめは受けての論理が基本)。

 誤解のない様にひとつ述べておきますが、今現在いじめを受けていて、その事を親に打ち明けていない子供さんは、絶対にその事を親に打ち明けて下さい。
 いじめられている事を親に隠す子供さんは、はっきり言って親不孝です。
 『親想い(親に心配をかけたくない)』という勘違いをしないで下さい。
 親に打ち明けてこその『親孝行』です。
 親は命懸けであなたを守ってくれます。
 もし、親に頼れない状況にあるなら、あなたが1番信頼できる近くの大人を素直に頼ればよいのです。
 その大人がもしあなたを裏切るような事があれば、くじけず2番目に信頼できるであろう近くの大人を頼ってください。
 また、地方自治体には、『いじめホットライン』などという部署を設けているところもあります。

 先程の細木さんの、『自殺する子は、自分が蘇ると思って死んでいる』、『パソコンの世界と取り違え、リセットできると思っている』という2つのコメントに話を戻して、自殺して亡くなる子供が、親に対して遺書の中で謝罪する理由は、いじめを受けていた自分の事で、親に余計な心配をかけてしまったという自責の念と、ここまで育ててもらったのに先に逝く自分の親不孝を許して欲しいという謝罪の念と、この2つからであると私は思います。
 自殺して亡くなる子は、明らかに、二度と蘇らない事を意識して亡くなっています。
 細木さんのその発言は、自殺して亡くなった子供達を、明らかに侮辱しています。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月19日 (火)

親孝行とは何なのか?親不孝とは何なのか?

 親孝行をする子供とは、どんな人間なのか?
 親不孝な子供とは、どんな人間なのか?

 親孝行とは、子供が大人になって親に楽をさせる事。
 この事は、裕福でない家庭の子供がよく口にする言葉である。
 勿論、裕福な家庭で育った子供も、色々な言動で親孝行をするのだろう。
 また、裕福な家庭の子供達も、そうでない子供達も、全ての子供達はやがて大人になり、それぞれの価値観で、それぞれの言動で親孝行をする様になるのだろう。

 子供にとっての最大限の親孝行とは、親のために生まれて来た事なのだ。

 従って、これ以上親孝行する必要があるのだろうか?
 これからの人生、最も大切な事は、親不孝をしない事ではないのか?

 極まった親不孝と言うのは、親よりも先に逝く事(病気を除く)である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月10日 (日)

人は人を見て、その人の話に共感する。決して話の内容を見てはいない。それは、人は肩書きや経験を見て、話を聞き入れているという証拠である!

 人の話に感銘を受ける。
 小説を読んで涙する。
 講演を聴いて価値観が変わる。

 話をしているのは誰なのか、その作品は誰が作ったのか、人は本来本質を見ず、人を見て共感します。
 つまり人というのは、肩書きがある人の話や、経験を基に語る人の話については、素直に受け入れるという事です。
 逆に言えば、肩書きもなく経験も乏しい人の話というのは、人は聞く耳を持ちません。
 最初から、そう言う人の話というのは、つまらない話で、信頼性もなく、その人からは何も学ぶ事はないと決めつけているからです。

 一例ですが、よみうりテレビ『たかじんのそこまで言って委員会』という、関西以西で日曜日の午後放送されているテレビ番組に、子供がいるH氏と子供がいないT氏が出演しておられ、自分の子供のしつけについての議論の中で、H氏がT氏に対して、「子供のいないT氏の意見は説得力に欠ける」という様な発言をしたため、T氏が「今の発言は侮辱以外の何ものでもない」などと反論していました。

 つまりH氏は、子供の躾についての議論に於いて、子供を育てた経験のないT氏の意見は全く意味のないもので、子供を育てた事のある人の意見だからこそ説得力があり、聞く人から共感を得られると言っているのです。
 H氏は明らかに、T氏の意見(話)を見ず、人(T氏の経験の有無)を見て話を聞いているという事です。

 人間が人間である以上、それは本能上、仕方のない事なのかも知れません。
 当然、肩書きがある人はその道のプロであるので話に内容があり、その道で経験を積んでいる人の話は重みがあり、説得力があります。
 そして何より、そういう人は、議論の題材に対しての両論に深く精通しており、賛否どちらかの意見を強く推して発言していたとしても、実は他方の意見に対しても理解を示した上で、持論を展開しているのです。

 では、顔が見えなければどうなのでしょうか?
 相手の素性が全く分からない人が綴ったブログに、人は感動し、そして、一文に共感を覚えます。
 ネット社会に於いては、誰しもが経験している事です。
 これは、前述した事に反した心の動きです。
 つまり、人を見て共感したのではなく、純粋に文章に共感したという事になります。

 例えば、Aさんがいます。
 Bさんは、毎日会社でAさんと顔を会わせます。
 AさんとBさんはよく話をしますが、実はBさんはAさんの事を、ある事情(何でもよい)で見下しており、Aさんの話す内容には関心を持っていません。
 しかしBさんは、あるブログを興味を持っていつも見ているのです。
 実際そのブログから得た知識も数多くありました。
 そのブログとは、Aさんのブログだったのです。

 と、強引な設定をして強引に結論付けしましたが・・・。
 タブロイド誌的な情報にも、実は身になる情報というものは少なからず含まれているもので、それが対面して話す人の話となると、話す人がどんな人であろうと、全ての話が役に立たないという事ではなく、響く部分というのは必ずあるという事です。

 井戸端会議なども含めて議論の場に於いて、最初からその人の意見に対して聞く耳を持たないという事は、結局、自分の視野を自ら狭めているという事になります。
 アンテナを広く張ってこそ、自分の価値観や心の許容が広がるというものです。
 それには、やはり人を見て話を聞くのではなく、たとえどんな人の話であっても、内容を第三者的な目で全て受け入れ、その後、話の本質を見極め、そして、発言者の内容の賛否を問うべきであると思われます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 1日 (金)

男性は体で感じる?女性は心で感じる?『快楽』と『愛』に対する男性と女性の根本的相違点!

10月11日記事/不倫とは男性にとって蜜の味、女性にとって不幸を呼ぶもの!世の中、そういう風に出来ている!
 女性は、愛を感じなければ、快楽も感じない。
 逆に言えば、愛を感じていれば、快楽を得られるという事です。
 それが、女性のさがです。

 男性は、愛と快楽を別物と考えます。
 それは、愛がなくとも、快楽は得られるという事です(その証拠に、女性が男性をもてなす風俗店が圧倒的に多い。既婚男性が犯す不倫という行為も、その様相を呈している。)。
 夫婦のうち、不倫を犯す絶対数が圧倒的に夫が多いと言うのには、そういう理由があります。
 その事に関しては、既婚男性が身勝手であるという事は言うまでもありません。

 夫婦の営みにおいて、夫は妻には快楽を感じませんが(あくまでもマンネリ化を前提としています)、しかし、その営みには妻に対する夫の愛があります。
 愛があるからこそ、快楽を得られなくとも夫は妻を求めるのです(病など仕方のない理由は除く)。
 夫にとって妻との結婚生活が破綻していれば、妻などどうでもよいという存在なわけで、妻を決して求めたりはしないでしょう。

 また、不倫相手の女性に対しては、既婚男性は快楽を感じる事はできますが、決して愛を与えているわけではありません。
 既婚男性は、快楽を得るためだけに妻以外の女性を求めているのが現状です。

 既婚男性の場合、『快楽』とは、妻以外の女性からしか得られません(少し乱暴な言い方ですが・・・あくまでも夫婦間のマンネリ化を前提としています。当然、中には、奥さんから快楽を得ている方も多いと思いますが)。
 つまり、『快楽』を他の女性に求め、『愛』を注ぐべき人として妻を求めているという事です。
 そこで、人としての理性が働き、倫理をわきまえている既婚男性というのは不倫を思い留まる事ができ、そして妻を求めるという事になります。

 既婚女性の場合、『快楽』とは、夫から受ける愛と、自らの夫への愛の相互間の遣り取りによって、それを得る事ができます。
 仮に不倫をしたとして、不倫相手の男性に快楽を感じたならば、既に夫への愛はさめており、夫からの営みの中での快楽を得る事はできないでしょう。
 ここで不倫を犯した既婚女性が不倫相手の男性に快楽を感じたと書きましたが、この快楽とは、男性のまやかしの愛(不倫相手の男性にとっては快楽だけを求めている)をこの既婚女性に注いでいるのであり、そのニセ愛と既婚女性の心に嘘のない愛との遣り取りの中で、既婚女性の『快楽』が成立しているに過ぎないのです(決して不倫を推奨している訳ではありません)。
 もしその時、既婚女性が、不倫相手の男性に快楽を感じなければ、夫に対して愛を求めているという事です。
 既婚女性が快楽を得るには、相互の愛の受け渡しによって成り立っている事から、唯一の男性からしか快楽を得られないと考えるのが妥当です。

 未婚男性の場合、『快楽』とは、恋人からも得られる(既婚男性から見ると、妻=恋人という相関になり、未婚男性との快楽の有無の相違点)でしょうし、また、恋人以外の女性からもそれを得られるでしょう(快楽を得るために二股三股を掛けるという事を言っているのではなく、未婚男性の生理上の反応として、恋人と恋人以外の女性から同時に快楽を得る事が可能という意味)。
 そこで、人としての理性が働き、モラルをわきまえている未婚男性というのは浮気を思い留まる事ができ、そして恋人を求めるという事になります。
 また、『愛』を注ぐべき人としては当然恋人を求めるでしょうが、愛が全てである恋愛関係というものは、愛以外を共有していないため破綻しやすく、その恋人との関係が破綻すれば、『愛』を注ぐべき人として他の女性に求める事になるでしょう。

 未婚女性の場合、『快楽』とは、特定の男性から受ける愛が全てであってこそ、その快楽を得る事ができるという事です。
 基本的にその考え方は既婚女性と変わらず、1人の男性のみからしか快楽を感じないという事です。
 既婚女性にしても、未婚女性にしても、あえて下品な言葉を使うと、『女性は心を開かなければ、股も開かない』と言う事です。
 そして、女性が心を開く男性というのは、同時に2人以上存在しないという事です(つまり、唯ひとり)。
 そしてまた、仮に、未婚女性が既婚男性と不倫をした場合、未婚女性の愛はその性質上間違いなく純愛でしょうが、相手の既婚男性の本当の愛は妻に注がれている事は間違いなく(ほとんどのケース。離婚する既婚男性はほとんどいない)、既婚男性はやはり『快楽』だけを求めているため、先程の既婚女性の不倫同様、この未婚女性の愛は本物であるけれども、既婚男性の愛はニセ愛で、しかし一応、愛の遣り取りは成立しているため、この未婚女性は快楽を得る事は可能となります。

 基本的に、
 男性は、体で感じる。
 女性は、心で感じる。
 男性にとって、『快楽』≠『愛』、『快楽』と『愛』は結びつかない。
 女性にとって、『快楽』=『愛』、『快楽』と『愛』は結びつく。
 と、言う事です(例外で、新婚さんの夫や、付き合って2,3ヶ月の恋人関係の彼氏は、『快楽』=『愛』という関係性である事は間違いありません)。

 つまり男性は、理性(妻や恋人に愛を注ぐ)によって特定の女性と交わり、女性は、本能(本能の構造上、意中の男性しか意識できない様に出来ている)で特定の男性と交わっていると言えます。

 少し女性を美化しすぎの様にも感じますが、女性の生理的反応として、1人の男性のみに意識を集中するという言動が多く見られるという事から考えると、基本的には間違ってはいないと思われます。
 ただ最近は、そうではない不倫浮気を含めた恋多き女性も多く見受けられる事も事実でしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月12日 (日)

同窓会に何を思い、そして、何を想う。人生で最愛の人が、同窓生なのか、それとも、それ以外の人なのか。自分の運命の人に対する想いと心残りが、同窓会に渦巻く!

 今年もあと1ヶ月ちょっとになりました。
 年末年始は、帰省して実家で過ごす人も多いことでしょう。
 同窓会に出席する人も多いのではないでしょうか。
 卒業以来、同窓生に初めて会う人もいると思われます。
 同窓生が、社長になっていたり、医者になっていたり、結婚して子供を産んでいたりと、それぞれの人がそれぞれの変化を遂げています。

 その中で一番気になる事・・・。

 当然、当時好きだった異性も出席するでしょう。
 好きだった異性が、卒業以来どんな人生を送って、今、どんな生活をしているのでしょうか?
 とても気になります。
 今、自分には、好きな人がいて、または、結婚して幸せな生活を送っていれば、それはそれで当時好きだった異性の事は、それほど重大な問題ではないのかも知れません。
 しかし、今まで生きてきた人生の中で、当時好きだった異性以上の異性と現在でも出会っておらず、今でも当時の異性の事を想っている人にとっては、それは非常に重大な事です。
 当時、その想いすら伝える事が出来ず、ずっと心の奥底にしまってきた人にとっては尚更です。
 どんな容姿をしている?
 どんな生活を送っている?
 好きな人がいる?いない?
 結婚している?いない?
 子供はいる?いない?
 結婚して家庭を持っているなら、今、幸せ?そうではない?
 そして自分が、今、その異性に対して、想いを伝える事が出来る資格がある?ない?
 またその異性が、今、その想いを受け入れられる状況?そうではない?

 その異性が、今、その想いを受け入れられる状況にない場合(結婚済)は、もう、すっぱり諦めるしかないでしょう。
 その異性の事を今でも真剣に愛していれば、その異性の幸せを願う事が人の道でしょう。
 そして異性に対するその想いというものは、墓場まで持っていくべきでしょう。
 想いを伝えるという事は、今後、その異性の負担にもなるからです。
 その想い(愛しているからこその思いやり)こそが、真の愛と言えるでしょう。
 そして、その異性が結婚していたという事は、その異性は自分の運命の人ではなかったという事になり、自分には、運命の人が今後出現するという事も、同時に証明されたという事です。

 その異性が結婚しているにもかかわらず、自分の愛を信じて突き進むと言う人がいれば、その愛はニセモノで、本当にその異性の事を愛してはいないのです。
 愛していないのだから、その異性の事は関係がないという事になります。
 関係がないのだから、その異性に想いを伝えるとか伝えないとか、元々そういう次元の話ではないのです。
 少なくともその異性は、その異性が今まで生きてきた人生の中で、最愛の人と運命を感じて結婚したのだから。

 いずれにしても同窓会という場所は、色々な思いと想いが渦巻く、時空を越えた不思議な場所です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 8日 (水)

人は皆、生涯に唯一人、忘れられない人に出会う。

 人は皆、生涯に唯一人ゆいひとり、忘れられない人に出会う。
 それは「愛」と言うものであり、決して「情」と言うものではない。
 しかし、「愛」と言うものが成就した時、「情」というものに比べて、短時間で形成されたものであるが故に、もろい。

2006/04/05(水)記事/今でも忘れられないあの子

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 「正義」と「正しい言動」とは、必ずしも結びつかない。

 「正義」と「正しい言動」とは、必ずしも結びつかない。

 「正義」とは、主観の道理で、己の心の正しい事。
 「正しい言動」とは、客観的且つ受け身の道理で、他人から「有り難がられる」評価を受ける事である。

 例えばその状況を、「小泉元首相によるイラクへの自衛隊派遣による人道的支援」と対にして、「現地イラク人の賛否の両論」に見ることが出来る。

 例えば、「勝てば官軍」に象徴される幕末。
 「新撰組を始めとする徳川幕府軍」と「維新志士を始めとしクーデターを起こした薩長軍」。
 互いに敵として刃を交えた幕府軍と薩長軍であるが、両軍共に日本の行く末を案じ、「己の正義」を貫いて戦った。
 そこには「正しい言動」など存在していない。

 つまり、自分が「正義」だと思い込んで言動したとしても、その言動を評価するのは他人だという事である。
 勿論、日常生活に置いても同じような場面は多々見られる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月31日 (火)

岐阜県瑞浪市立瑞浪(みずなみ)中学校2年生女子生徒自殺/保身考える学校と教育委員会/後手にまわる保護者の対応

『<中2女子自殺、非難され数時間後に首つる>
 いじめを示唆する遺書を残して自殺した岐阜県・瑞浪市立瑞浪中2年の女子生徒(14)は、所属していた同校のバスケットボールクラブの練習を休んだことについて、部員から「無責任だ」と非難された数時間後に自宅で首をつっていたことが30日、分かった。
 佐々木喜三夫校長は、こうしたクラブ活動でのやりとりが自殺のきっかけだった可能性があるとの認識を遺族との話し合いの場で示したという。
 関係者によると、女子生徒は今月23日午後1時ごろに自殺。前日にクラブの練習を欠席し、母親には「行きたくない」と話した。以前から「(練習に)行くと気が狂う」と漏らしたこともあったという。
 23日朝の練習の際、学校でほかの部員から「レギュラーなのに休むなんて無責任だ」と言われた女子生徒は練習後の朝礼で泣いたが、担任の男性教諭は声をかけなかった。この日の授業は午前だけで、放課後になって担任が「今朝、元気がなかったが大丈夫か」と聞くと「大丈夫です」と答えたという。
 この担任は今月17日に母親からクラブ活動で娘が悩んでいるとの相談を受け、様子を見ると約束。しかし具体的な対応はしなかった。相談についてはクラブ顧問の教諭や学年主任も知っていたが、佐々木校長に伝わっていなかった。
 一方、瑞浪中は30日、自殺の原因となるようないじめがあったかどうか確認するため、一両日中に全生徒を対象に無記名でアンケート調査をすることを決めた。
 同日会見した佐々木校長は「『うざい』などとからかうような言葉を言われていたようだが、自殺につながるものではない。自殺といじめのつながりを特定するのは難しい」と話したが、市教育委員会は「今週中にも自殺の原因を明確にして公表したい」としている。』

以上『 』内、黒文字=nikkansports.com[2006年10月30日23時7分]より引用
 また、いじめによる自殺者が出てしまった。
 悲しい事に若い命がまたひとつ亡くなった。

 大人は皆、保身しか考えていない。
 教育委員会で働いている公務員も、学校で働いている教員も、やはりサラリーマンなのだ。
 民間のサラリーマンは、法を守った上での企業の利潤を追求するのが仕事である。
 つまり、人の心を基本的には傷つけてでも、法に触れなければ企業の利潤を追求してもよいのがサラリーマンなのである。
 今の教育委員会と学校で働く人たちは、明らかにサラリーマン化している。
 本来は、教育委員会と学校で働く人たちは、児童生徒学生の心をケアする事が責務であるのに、昇進と金とに目が眩んでいる。
 そして、へたをすれば左遷やクビになりかねないから保身を考える。

 児童生徒学生と保護者は、そんな大人達の事を、信用出来ない事は誰の目にも明らかだろう。
 子供は純粋だから、学校という所は、無理をしてでも絶対に通わなければならないと思っているものである。
 その子供達の思い込みというのは、大人が考えるよりも深刻であると考えるのが妥当だろう。
 子供達の思い込みというよりは、純粋に育った真面目な子供ほどそう考えているのかもしれない。

 私は、保護者に言いたい。
 自分の子供がいじめを受けている事が発覚した時点で、学校を休ませれば良いのである。
 日本では現在、学歴社会の傾向は薄れつつあるが、しかしその傾向はいまだ根強く、保護者としては、子供に学校を休ませるという事を勧めるというのは勇気がいる事だろう。
 世間の保護者達は、自分の子供が死なないと本気で思い込んでいる。
 子供を亡くしたくはないだろう。
 子供を亡くしてから、無理して学校に通わせるのではなかったと、後悔する事になる。
 子供達は、例え保護者から学校を休めと勧められても、親に心配をかけたくないとか、自分の将来に不安があるからとか、理由付けをして無理して学校に行くものである。
 子供の気持ちをもっと理解して欲しい。
 子供を休ませている間に、問題の解決にあたれば良いのだ。

 そして、一応学校側に相談すべき。
 自分の子供がいじめによるサインを発していて、そのサインを保護者がキャッチしたなら、まず学校の担任の先生と、その上司である教頭と校長の3者に相談すべきである。
 その間子供は、学校を絶対に休ませるべきである。
 学校に子供を通わせていると、この間に自殺する可能性もあるし、休ませて静かな時間を与えてやり、親が子供のいじめ問題に対して頑張っている姿を子供に見せてやれば、改めて親と子の絆も深くなり、子供はそう簡単に死ななくなる。
 子供の気持ちを気遣って、なるべく問題を大きくしないように学校側に相談し解決を依頼する保護者も多いようだが、それでは実は学校の思うつぼなのである。

 保護者は、自分の子供のいじめ問題を、学校全体の問題として公(全校集会)で取り上げて欲しいと、学校側に提案するべきなのだ。
 学校内での全校集会など、保護者自身が訴える事が可能な場と機会を、学校側に求めるのだ。
 (なかなか許可する学校は悲しい事に少ないでしょうが・・・。)
 これを拒否する学校は、いじめ問題を軽視している証拠であり、学校という看板を下ろすべきであろう。
 そして、保護者が全校集会で発言する事により、学校側やいじめグループに対して、保護者がその力を誇示しているという事実を見せ付ける事になるのである。
 言葉を変えれば、学校側やいじめグループに対して、私は出るところに出る覚悟がありますよと、脅迫できるのだ。
 (ほんの一例です。他にも強硬な方法は幾らでもある)
 強固な保身を考える学校に対して、保護者ならこれくらいの行動力を持つべきである。
 自分の子供の命を守るためなのだから。

 おそらく、いじめを受けていた子供の友人達は、本当はいじめを受けている友人を助けたいをいう気持ちはあるけれども、もし友人を助ければ、今度は自分がそのグループにいじめられるという恐怖心があるから、友人を助けられないという事実がある。
 自分の子供のいじめという問題が、学校全体の問題に発展すれば、いじめを実際に行っているグループが活動しづらくなり、いじめの頻度を激減させる事にも繋がるのである。
 そうなれば、いじめを行っているグループの勢力が小さくなり、いじめを受けていた子供の友人達が立ち上がりやすくなり、組織的に行われていたいじめの勢力分布が、大きく変わってくるという事も期待できるようになる。
 つまり、いじめられていた子供の友人達が新たな勢力を形成し、いじめられていた友人を組織ぐるみで助けてくれるようになる。
 いじめグループに対抗するには、いじめられていた子供の友人達によるグループで対抗するしかないのである。
 そうなれば、担任や教頭、校長という学校側を頼りにしなくても、自分の子供に対するいじめの頻度は激減する。
 学校側には、そのきっかけになってくれさえすれば良いのである。

 結局、学校側(担任、教頭、校長)には頼れないという結論になり、頼れるのはいつも傍にいる友人達という事になる。
 しかし、友人達のグループ勢力の奮起を待っていては、やはり手遅れになる事もあるし限界がある。
 そして、その子供に対するいじめがなくなったとしても、ターゲットが変わっては何の意味もない。
 だから、正直どんな方法を用いてもいじめはなくならないというのが事実だろう。
 が、しかし、保護者として自分の子供の命は絶対に守りたいだろう。
 だったら、思い切って学校を休ませるとか、転校を考えるとか、最近では、少人数でクラスを編成する学校も増えており、そういう学校に転校させるというのもありで、また高校生の場合は、高校に通わなくても本人のやる気次第で、高卒認定試験(新大検)に合格すれば、高校卒業同等という資格を獲得でき、大学も受験できる。

 いじめを受けている子供にとって、学校に行く事がどれだけ苦痛と感じているか。
 自殺するという事は、子供達の選択肢の中に生か死しかなく、学校を休むという選択肢がないのである。
 保護者達は勇気を持って、学校を休むという選択肢があることを子供達に教えてやって欲しい。
 日頃から、いじめを受けているというサインを出している子供の保護者なら尚更だ。
 どんな方法を用いても、いじめの根絶が図れないという事実がある今、子供の生死を握っているのは、実は他ならぬ保護者自身なのだ。

 最後にいじめを受けている子供達にも言いたい。
 仮に自分が自殺したとして、その時の自分の通夜や葬式を思い浮かべて欲しい。
 親戚や友人、知り合いなどが当然悲しむだろうが、一番には、保護者がどんな想いで涙を流すか。
 自分で抱え込む必要はないのだ。
 保護者に相談する事に理由など要らないし、保護者は命懸けで君を守ってくれる。
 もし、どうしても保護者に相談できないという、やむ得ない事情があるなら、信頼できる人を素直に頼ればよいのだ。

 更に深刻な問題は、保護者に心配をかけまいといじめのサインすら出さず、その事実を封印する子供達をどう救済するかだ。

紀伊國屋書店 BookWeb【画像提供:紀伊國屋書店】
タイトル:問題のない私たち
主演:黒川芽衣
出演:沢尻エリカ、美波
野波麻帆、大塚寧々
勝村政信、森絵梨佳ほか
DVD 本編+特典映像
発売日:2004/07/28
 死ぬくらいの勇気があるなら
刃向かっていけばいいのに。
 そう思っていた・・・
自分がイジメにあう前は・・・。
 そして・・・教師のイジメ・・・。

 『別冊マーガレット』に掲載された、
衝撃の問題作。

福岡県筑前町立三輪中学校男子児童自殺!安倍首相が推進する『教員免許の更新制度』の是非!
自殺者録【外部サイト(別窓で開きます)】

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年10月19日 (木)

JR福知山線で事故死した男性の後を追い自殺した女性/彼への愛と彼女への家族愛/彼女の行為に是非は問えるのか?

『JR関係者の参列拒否、荒川さん告別式
 尼崎JR脱線事故で死亡した同居男性の後を追い、15日に自殺した荒川由起さん(32)の葬儀・告別式が17日、同市旭区内で営まれ、遺族や由起さんの友人ら約20人が悲しみの別れを告げた。
 事故の遺族らでつくる「4・25ネットワーク」のメンバーらも出席。JR西日本の中村仁・福知山線列車事故被害者対応本部副本部長らが参列を願い出たが、遺族側に拒否された。葬儀は弔辞などもなく、ひっそりと行われたという。
 荒川さんは、事故で亡くなった芦原直樹さん(当時33)と13年間同居し、結婚する約束を交わしていた。15日午前、芦原さんの死を苦に自宅マンションから飛び降り自殺。自宅で見つかった母親あての遺書には「2人の未来を奪ったJRが憎くてたまりません。JRと戦って下さい」と書かれていた。
 関係者によると、遺族側は、16日の通夜の後のJR側の対応などに反発し、葬儀への参列を拒んだという。中村副本部長は、集まった報道陣に対し「今日はお参りを許してもらえなかった。控室で手を合わせた」と沈痛な表情。山崎正夫社長や、前社長の垣内剛取締役ら遺族担当役員が通夜、葬儀いずれも参列しなかった理由については「昨夜も今日も社内の所用があった」と答えるのみだった。』

以上、赤文字=nikkansports.com/06/10/15/20:21/記事より引用

 人をここまで愛せる。
 月並な言葉ではあるが、「すごい」としか言いようがない。
 私は決して、自殺を肯定している訳でもなければ、命を軽視している訳でもない。
 人は人をここまで愛せるのだと、ただただそう思った。
 理屈ではなく、素直にそう感じた。
 これこそが、真実の愛であり、究極の愛であるとさえ思った。

 【一般によく耳にする、女性の両親の前で、「娘さんを命懸けで守るので、結婚させて下さい」と挨拶する男性のこの言葉が、私には、薄っぺらく感じられ、情けなく感じる。】

 ただ、別の考え方もあるのではないか。
 彼女は、一瞬で婚約者を亡くした。
 彼女自身、遺族(婚約者)として間違いなく苦しい思いをしたに違いない。
 しかし、彼女は自殺した。
 彼女は、残される家族の事を考えなかったのか。
 そうではなく、考える余裕すらなかったのかも知れない。
 そうではあっても、結局彼女は、彼女と同じ思いを、彼女の家族にさせてしまっている。

 彼女の自殺という行為が、正しい行為なのか間違った行為なのか、私には分からない。
 彼女の自殺を肯定すれば、彼女の命を否定した事になり、彼女の自殺を否定すれば、彼女の命を張った思い(彼への想いと、JRへの彼女の主張)を否定する事になる。

 ただ、やはり彼女は生きるべきではなかったのか。
 彼のために生きる事が閉ざされたなら、なぜ家族のために生きようと思わなかったのか。

 「死ねば全てが終わりになる。
 彼女は生きて、最後までJRと遺族会の動向を見極める必要があった。
 そうすることが、事故で亡くなった彼の為にもなる。」
 などど、偽善者が言う様な事を言っているのではない。

 生きる事は、理屈ではないのだ。
 彼女の場合、相談できる家族がいたではないか。
 サポートしてくれる家族がいるのに、なぜ自殺する。
 彼女の場合、生と死という2つの選択肢しか無かったわけではないのだ。

 彼女の事を生きるべきだったとあまり書き過ぎると、彼女のとった行動を否定するような気もするので・・・。

 冒頭で、彼女の自殺は究極の愛だと書いた。
 それはその通りであると思う。
 しかし、命と愛を天秤に掛けることは本来タブーであるとも思う。
 彼女は彼との愛を信じて自殺した。
 しかし、家族愛を裏切ったというのも事実である。

 この記事を書くにあたって、反芻はんすうに努めたつもりではあるが、彼女のとった行動を肯定したり否定したり、矛盾だらけの記事になってしまった。
 それはいくら文章を練っても、彼女の彼を想い決心を固めての自殺という行為に対し、彼女の立場に立てば、「当然頷ける行為であり」、逆に、彼女の家族の立場に立てば、「彼女の行為を尊重したいという気持ちと、遣る瀬無い気持ちと、ふたつの複雑な思いがある」、という対立した思いが私の頭をよぎり、結局、文章をまとめる事が出来なかった。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年10月18日 (水)

「仕事と私どっちが大事?」/「仕事と家庭どっちが大事?」/よく女性が男性に使う言葉です。

 彼女が彼氏に、「仕事と私どっちが大事?」と聞く。
 妻が夫に、「仕事と家庭どっちが大事?」と聞く。
 女性がよく使う言葉です。

 未婚女性からすれば、彼氏の気持ちを確認したい彼氏との時間をもっと持ちたい、既婚女性からすれば、夫にもっと家庭に目を向けて欲しいなど重要な意味を持つ言葉です。
 また中には、挨拶のような軽い言葉の様な感覚で使っている女性もいるのではないでしょうか。
 この様な言葉を言う女性は、彼氏の事や、自分の家庭の事を大切に想っており、純粋な心の言葉として発しています。
 言われた男性にしてみれば、この様な女性を可愛らしく思うのではないでしょうか。
 よくよく考えれば、それだけ、その女性に愛されているという事なのですから。

 しかし、毎回となると男性にとってこれほど重たく面倒くさい言葉はありません。
 男性にしてみれば、仕事と最愛の女性、仕事と最愛の家庭、もともと天秤に掛ける様な次元の事柄ではないのです。
 女性という存在はもちろん人間で、家庭というのは男性が命懸けで守るべき生身の場所です。
 そして男性にとって仕事とは、お金を得るためのただ手段に過ぎないのです。
 勿論、仕事に遣り甲斐や生き甲斐を感じている男性もいるでしょうが、しかし、男性が仕事から感じる遣り甲斐や生き甲斐というものは、彼女や家族の顔が仕事中に常に頭に浮かぶからであって、そこから来るものがモチベーションに繋がっているのです。
 逆に言えば、彼女もおらず、家庭も持っていなければ、男性は何のために働いているのか、その意味さえ分からなくなってしまいます。
 そもそも、お金が無ければ何も出来ません。
 お金があれば、彼女との楽しい時間を送れるでしょうし、安定した家庭生活を送る事も出来ます。
 大きなお金の話ではなく、デートするにも多少のお金は必要でしょうし、家庭を持っていれば生活を営むだけの最低限度のお金は絶対に必要です。
 仕事を一生懸命してそれなりの最低限度のお金を稼ぐと言う事は、結局、彼女と楽しい時間を過ごす為であり、家庭を守っていく為なのです。

 彼氏と出歩くにしても、車にくらい乗るでしょう。
 当然、ガソリンが必要です。
 意識しないから気付かないだけで、そういうお金があるからドライブ中彼氏と楽しい時間が過ごせるのです。
 毎日家族と楽しい夕食をとるでしょう。
 食料品を買うのにも、お金が必要です。
 意識しないから気付かないだけで、そういうお金があるから家族の団欒があるのです。
 夕食が一緒にとれないにしても、何か他の団欒を得ているはずです。

 彼氏がデートをキャンセルしてまで仕事に行く、また夫が休日出勤する、接待ゴルフに行く。
 彼氏にしてみれば、どれだけ彼女と一緒に過ごしたい事か、夫にしてみればどれだけ妻の他愛もない話を聞きたい事か、また一緒に子供と遊びたい事か。
 仕事を優先するのは、私用を理由にすれば会社での立場がなくなるからです。
 ここで言う立場とは、地位やプライドではなく、信用を失うということです。
 そんな人間に、当然会社は重要な仕事は任せません。
 当然、給与にも響いてきます。
 その程度で済めば良いですが、むやみに休暇などを取っていると、同僚に余計な負担を強いる事になり、その結果その職場で働きづらくなってしまいます。
 会社にも信用されない、同僚にも見放される、結局会社を去る事になります。
 そうなれば、安定した給与を得る事すら出来ません。
 これでは、彼女との関係や家庭生活も破綻しかねません。

また、
 「友達と私どっちが大事?」
 「友達と家庭どっちが大事?」
 という様な言葉もあります。
 もしこの言葉で、彼氏や夫が友人を優先させたなら、これは問題があります。
 この場合、男性にとって最優先すべきは間違いなく彼女であって、また家庭です。
 勿論、時と場合によっては、友人を優先させる事態も当然あるでしょうが。

 「仕事と私どっちが大事?」
 「仕事と家庭どっちが大事?」
 女性にしてみれば男性の本音を聞き出したい、またその言葉を使う事によって男性を意とする方向へ振り向かせたいという言葉であり、男性にしてみればよくよく考えると嬉しい言葉ではあるけれども重たくて面倒くさい言葉。
 男性が仕事を優先させても、それは彼女や家庭のためであり、決して彼女や家庭を蔑ろにしているわけではないのです。

 彼氏や夫が、一生懸命仕事をする事は当たり前の事です。
 仕事よりも彼女や家庭(妻)を優先させるような男性は、世間からヒモだと言われても仕方がありません。
 普段の生活の中で、仕事をこなしながら、彼氏や夫は、何か、本当に些細な何かという言動で、彼女や家庭に尽くすために努力しているはずです。
 彼女のため、家庭(妻)のため、些細な言動しか出来ないけれども、その些細な言動を認めて欲しいと言うのが男性の本音ではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月15日 (日)

人が一番恐れる事は・・・。

Peaple are probably more afraid of being forgotten than being dead.
The fact that we exist right here right now.
Everyone of us want to tell that fact to someone.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月13日 (金)

ひと昔前の、「不倫は・・・」。父親であるべき人が男になり、母親であるべき人が女になるその瞬間・・・。

 ひと昔前の、「不倫は文化だ」。
 一体、何人の人がこの言葉に共感したのだろうか?
 男女問わずスリルと快楽を求める。

 都合の良い場所を家庭に求め、恋愛を不倫に求める。
 家庭内の事情はどうあれ、不倫は不幸しか呼ばない。
 夫婦間に子供がいれば尚更だ。

 親なら黙って親をやるべき。
 それは義務だ。
 親というのは、男でもなければ女でもない。
 いつまで男と女をやっているのか。
 男と女でいつまでもいたいという親は、親になる資格もなければ素質すらもない。
 この言葉に異論があるなら、不倫という行為を子供の目の前で出来るという事になると思うのだが。
 父親が見知らぬ女性を抱き、母親が見知らぬ男性に抱かれる。
 子供にとって、それは、この世で一番おぞましい光景である事は、誰も目にも明らかだ。

 不倫とは男性にとって蜜の味、女性にとって不幸を呼ぶもの!世の中、そういう風に出来ている!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月11日 (水)

沈黙は金、雄弁は銀!井戸端会議の雄弁家は見苦しい!しかし、語らなければ何も伝わらない!しかし、受け売りを語っても響かない!

 人と議論をする時は、ある一定の知識と(擬似)経験が必要である。
 何の知識も(擬似)経験もなく議論に参加し、賛否を雄弁に語ったならば、議論の終盤には黙り込む事になる。

 例えば、ある記者が、ある物事について、反対の立場から取材を始めたとする。
 この時点では、ある物事についての知識や(擬似)経験は、この記者には全くなく、ただ主観で漠然と反対しているだけである。
 そして取材を始めて数年が経つと、ある現象が記事に表れる。
 この物事について取材を始めた頃の記事と、数年後の現在の記事では、180度逆の記事である事に気付くのである。
 勿論、取材開始直後と、数年後の現在との記事が同じ方向性を持っている記事もあるだろう。
 しかしその中身は、同じ反対の言葉でも軟らかくなっていたり、ニュアンス的には賛成の方向ともとられかねない言い回しになっていたりするものである。
 当然、賛成側から取材に入った記者の記事も同様の事が言える。

 なぜこの様な現象が起こるのか?
 これは、記者が取材を進めていく中で、取材対象(賛否含め)が主張する論理も理解できてきているからである。
 これが擬似経験である。
 その為に、取材前は全く無知識で無経験だった記者の反対記事内容が、知識を取り入れ擬似経験を積んで書いた数年後の記事では、自分の意見を主張しつつも、賛否両論の立場に立った記事内容に変化するのである。

 これと同じ事が、人と議論をする時にも起こるのである。
 何の知識も(擬似)経験も無く、また薄っぺらい受け売りの知識を持ち出して賛否議論に参加すれば、最後にはその無知を露呈することになり、(擬似)経験と知識を持った人と対等に議論が出来ない事に、手遅れの状態で気づくことになる。
 しかしこの時点でこの人は、新たな知識とこの物事に対する擬似経験を得る事になり、他の場で行われるこの物事に対しての賛否議論では、その効果を発揮することになる。
 ここで言う、(擬似)経験と知識をもった人とは、先ほどの例で言うと「取材対象(賛否含め)」にあたる。
 つまり、ある物事に対して(擬似)経験と知識を持った人と言うのは、賛否両論の立場を深く理解いている事を基盤に、その上で持論を展開しているという事である。
 そんな人達と賛否をぶつける上で、賛成の立場でしか、もしくは反対の立場でしか話が出来ない人が、賛否両論を理解した上で話をしてくる人達に勝てるわけがないのである。

 そうすると、議論に参加する上でしっかりと自分の意見を主張するために、知識を詰め込んだり、経験というものが必要になってくる。
 知識は人に聞いたり、本やネット等で集められても、物事によっては経験する事が困難なものもある。
 経験とは最低限の擬似経験で良いのである。
 実際に経験した人の立場に自分が立ったと仮定して考えればよいのである。
 そこで自分が、実際の経験者の体験談等をもとに、賛同できる部分と否の部分とを見い出した上で一度考え、その後、自分の考えが賛否のどちらなのか探れば良いのである。
 そうすれば、他人の受け売りではない真の持論が展開できるようになる。

 物事を、賛成側、もしくは反対側の片方でしか論じる事が出来ない人の意見と言うのは、そもそも、受け売りか、もしくは自分の考えであると錯覚して話しているか、いずれにしても、その人自身の考えではなく、ただ雄弁に話しているに過ぎない語りべなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不倫とは男性にとって蜜の味、女性にとって不幸を呼ぶもの!世の中、そういう風に出来ている!

12月1日記事/男性は体で感じる?女性は心で感じる?『快楽』と『愛』に対する男性と女性の根本的相違点!
 婚姻している男性は、家庭に安らぎを求めている。
 無邪気な子供の顔を見て、妻の料理を食べて安心する。
 そして不倫相手の女性には、結局は、快楽だけを求めているのである。

 例えば、既婚男性が不倫する。
 その男性は、不倫相手の女性を、性のけ口程度にしか思っていない。
 えて汚い言葉を使うと、相手女性の存在を、マスターベーションのおかず程度にしか思っていない。
 女性の純粋な愛につけ込んで、女性が引かない程度の贈り物(決して貢ぎ物ではない)を贈り、そして、その場限りの甘い言葉をかける。

 その証拠に、不倫相手の女性が「今すぐ奥さんと別れて結婚して」と言うと、決まって男性は連絡を絶つ(男性は、これ以上付き合うと危険と判断)。
 女性がしびれを切らし、「あなたの赤ちゃんが出来たみたいなの」と鎌をかけると、ダンマリを決め込む(男性は、距離を置き自然消滅を謀る)。
 女性が、「家に乗り込む」と脅せば、すぐ土下座(男性は、土下座で別れられなければ、金で解決しようとする。もしくは、何とかなだめて騙し、まだ付き合おうとする)。

 結局、女性の不倫は成就しない。
 世間の妻達は、妻という絶対的な地位を保持している事と、夫の愛(子供も含めた家庭愛)がある事を明らかに自覚している。
 だから相手の女性がどう足掻あがこうと、その地位は揺るがない。
 どう転ぼうと結局、不倫女性が悪者になるのである。
 世の中そういう風に出来ている。
 それはつまり、その男性が、何よりも家庭を愛しているから。
 たとえ妻に対して不満があったとしても、男性にとって家庭とは、居心地が良い場所なのである。
 しかし不倫相手の女性は、いつか振り向いてくれると一生懸命男性に尽くす。
 それはその女性にとっての純愛であり、だからこそ周りが見えなくなる。
 その純愛を、男性は狡猾こうかつに利用する。

 不倫女性の愛と言えども、彼女にとっては純粋なものである。
 好きになってしまったのだから、それはひとりの女性として当たり前の感情である。
 しかし、人(妻や子供達)の不幸の上に、自分の幸せは絶対に存在しない。
 たとえ、妻を追いやって婚姻まで持ち込んでも、その男性はまた・・・。
 自分の愛に正直に生きる事は素晴らしい事だが、人の道を踏み外すと、心も体もボロボロになってしまう。

 最後に、巨悪は、分別の無い自己中心的な不倫を犯した男性であると言う事は言うまでもないが。
 ちなみに、「不倫」と「浮気」は別物である。
 「不倫」とは、婚姻している者が不貞行為をした場合、もしくは婚姻している者と不貞行為をした場合に使う言葉。

 「浮気」とは、恋人関係の未婚者が、未婚の異性と仲良くした時に使う言葉。
 又は、妻や夫など定まった人がいながら他の異性と情を通ずる事。
 話すとか、食事するとか、手を繋ぐとか、キスするとか、セックスするなど、人によってその基準が異なる曖昧あいまいな言葉。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2006年10月 7日 (土)

話し方の難しさ!言葉を選ぶ難しさ!知らないうちに人の心を傷つけている?

 人は普通、頭の中で何を言いたいかを考えて、相手に敬意をはらって発言する。
 しかし他人の話を聞いていると、そうは思えない。
 皆(私も含め)、敬意をはらって発言しているつもりでいる。

 一例、「お年寄り」という言葉と、「年配の方」という2つの言葉がある。
 一見どちらも、やわらかい言葉で相手を思い遣っている言葉の様に思われる。
 若者が敬意をはらって、「お年寄りが和めるような環境を作りたい」とAさんに発言したとする。
 ここで、Aさんの反応が気になる。
 Aさん自身が、「自分は年寄りである」と認識していれば何も問題ない。
 しかしAさんが、「まだ年寄りという年齢ではない」と思っていたなら、Aさんの心を深く傷つけた事になる。
 最初から発言者が、「年配の方」という言葉を使っていれば。

 「お年寄り」という言葉は曖昧で、何歳からが「お年寄り」なのか人によって認識にズレがあり狭義である。
 これに対して「年配の方」という言葉は、年齢に幅があり、広義の言葉として使える。

 自分では相手を思い遣って話をしているつもりでも、知らないうちに相手の心を傷つけてしまっている。
 自分は相手が傷ついている事に気付かないため、フォローの仕様がなく始末が悪い。
 自分の知らないうちに、相手が去って行く。
 言葉は、慎重に選びたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月30日 (土)

人は自分を守ろうと、気力労力を使って壁を・・・

 人は自分を守ろうと、気力労力を使って壁を作ったところで守りきれるものではない。
 それならば壁を取っ払って自分をさらけ出し、多くの人に理解してもらう様に気力労力を使う方がよい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月29日 (金)

広島、長崎への原爆投下から学んだ日本人!他民族、他国を敵視しない教育を受けられる現在の日本!だから、平和で豊かな今の日本がある!

 61年前、日本はアメリカに敗れました。
 日本は、アメリカ領ハワイ州オアフ島真珠湾に奇襲攻撃を仕掛け、太平洋戦争に突入します。
 アメリカ人の心には、「リメンバーパールハーバー」の言葉が刻み込まれました。
 アメリカは、日本の広島と長崎に人類史上初の、生きた人間を標的とした原子爆弾を投下しました。

 当時の広島市内には34万2千人がおり、原爆投下の1945年8月6日から、1945年12月末までに14万人(広島市)が死亡しました。
 また、当時の長崎市の人口は24万人、内、総死亡者数は7万人以上(内、即死者3万5千人)、負傷者は7万人以上にのぼりました。
 その後も火傷の後遺症(ケロイド)による障害、胎内被曝した出生児の死亡率の上昇、白血病や甲状腺ガンの増加なども見られました。
 さらに、アメリカによる日本本土焦土作戦によって、日本の約180都市は空爆され焦土化し、東京、名古屋、大阪の主要3都市だけで約40万人の死者が出ています。
 つまり、長崎と広島の原爆投下により、日本の民間人の死者数は21万人以上、日本本土焦土作戦による主要3都市の死者数は約40万人、日本本土焦土作戦による約180都市の死者数は数百万人と、日本の民間人が、それぞれの空爆によって焼き殺されました。

 現在、日本とアメリカは友好国、そして同盟国としての関係を築いています。
 現在、普通思想を持った多数の日本人は、アメリカ人を敵として意識しません。
 現在、普通思想を持ったの多数のアメリカ人は、日本人を敵として意識しません。

 現在の日本人は幸せです。
 それは、教育機関で、直接的にも間接的にも、「あの国を憎め」とか、「あの国は敵だ」とか、そういう教育を一切受けないからです(もちろん、日本がした事された事は、史実として伝えられるべきです)。
 他民族、他国を敵視しない教育を受けられる国というのは、世界を見渡しても、そうそうあるものではありません。
 それは、世界の国々の現状を見ればよく分かります。
 その事に関して日本は、間違いなく胸を張れます。

広島・長崎原爆投下

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月26日 (火)

常識とは・・・根拠がない・・・そこから、イジメや社会的排除が始まる。それは・・・

常識とは・・・

 450年前、コペルニクスが生まれる前までは、天界が地球の周りを回っていると言う”天動説”が常識でした・・・、しかし現在は、コペルニクスの”地動説”が常識です。
 61年前、日本は”戦争する事”が常識で、戦争反対などと唱えると非国民として取り締まられました・・・、しかし現在、日本国憲法では平和主義が掲げられており、”平和思想”が日本人の常識となっています。
 15年前、子供は勉強して、偏差値の高い大学に進学して、一流企業に就職して、安定した生活を得る事が常識でした・・・、しかし現在は、就職難、リストラ、能力の無い者やる気の無い者は淘汰されており、個性や人間性が重視されています。

 こうして見ると「常識」と言うものは、時代と共に様変わりしているようです。
 ”こうあるべき”と多くの人が考える事が、物事の「常識」のように思います。
 そう考えると「常識」とは、”多数決論理”です。
 そして「常識」というものに執着するのは、日本人の国民性です。

 「常識」に対して、少しでも変だと感じれば、「なぜ」と思い、疑問を持つ事が大切だと思います。
 意外と自分の心の中で思っている事が、真の「常識」だったりするのかも知れません。
 なかなかそれを、言動として表す事が出来る人は少ないけれども。

 苦しい事を素直に苦しいと言えば、周りの人間から変だと言われます。
 周りの人間と同じ顔で生きて行く為に、どんどん不安を抱え込んでしまいます。
 近年、無関心無感動の若者が現代社会に多いとよく言われますが、根拠のない「常識」が生きるこの世の中から、自分の心を守るために、必死で無関心無感動を装っているのかも知れません。
 そうしなければ、潰れてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「おっせかい」と「こころづかい」

 「お節介せっかい」は、ウザイ。
 過ぎた「お節介」は迷惑だ。
 けど、何もかも「お節介」と言っていたら、人の「心遣い」というものに、鈍感どんかんになる。
 「心遣い」を感じられなくなった瞬間から、他人にも優しく出来なくなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月25日 (月)

親の事を少しでも考えている子供は・・・

 親の事を少しでも考えている子供は、自分に降り掛かった、学校での悪い出来事を絶対に言わない。
 そんな素振りすら見せない。
 自分が受けている屈辱を、親にだけは知られたくないと思うから。
 親が知れば、きっと悲しむから。
 世の中、そういう風に出来ていて、それが問題。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月27日 (日)

マジシャンズチョイス/自分が選択・・・錯覚・・・テクニックです。あなたの知らないうち・・・、人生の選択権も・・・握られている?

 「マジシャンズチョイス」とは、マジシャンが相手(Aさん)に選択権を与え、あたかもAさん自身が意志を持って選択したと錯覚させるトリックのひとつです。

 例えば、「赤いカード」、「青いカード」、「黒いカード」、「白いカード」、計4枚のカードがあったとします。
 マジシャンは、Aさんに、「赤いカード」を選ばせたいとします。
 この時Aさんは、自分が「赤いカード]を選ばされるなどと思っていません(あくまでもAさん自身が、カードを選ぶと思っています)。

 まず4枚のカードから、Aさんに2枚選んでもらいます。
 Aさんに選んでもらった2枚の中に、「赤いカード」があれば、さらにその2枚から、どちらかを選んでもらいます。
 2枚のカードの内、Aさんが「赤いカード」を選べば、それで良し。
 他方のカードを選べば、「あなたは赤いカードが好き(ココでは、あえて好きと言う言葉を使う)なのですね」などとコメントし、Aさんがあたかも「赤いカード」を残したと錯覚させ、結局、Aさん自身が「赤いカード」を好意的に選んだのだと印象付けをすれば問題ありません。

 最初の4枚のカードから、Aさんに2枚選んでもらう時に、Aさんが2枚選んだ方に「赤いカード」がない場合、残った2枚に「赤いカード」があるのですから、「では、あなたが残した2枚のカードからさらに1枚選んでください」などとコメントし、Aさんが「赤いカード」を選ぶように誘導すれば、この場合も問題ありません。
 Aさんに2枚のカードを選択させ、Aさんが好意的に選んだカードを除外する時、マジシャンのコメントとして、カード除外の妨げ(Aさんに疑心を持たせない)にならない言葉を使う事がポイントです。
 例えば、マジシャンが「好きなカードを2枚選んで下さい」とコメントした場合、「好きな」という言葉は、Aさんがカードを選ぶ時、カードに対して好意的志向を持って選んでしまい、Aさんの選んだカードがマジシャンの意図としているカードなら問題ないのですが、Aさんの選んだカードがマジシャンの意図としないカードだった場合、このカードを除外しなければなりません。
 この時、「では、あなたがテーブルに残した2枚のカードから、更に1枚選んでください」といって、先ほどAさんが選んだ2枚のカードを除外してしまうと、Aさんからすると「好きだから選べと言った2枚のカードを除外して、なぜ残った2枚のカードを使うのか?」という、疑心をAさんに与えてしまいます。
 従って、Aさんにカードを選んでもらう時のマジシャンのコメントとしては、「カードを選んでください」などと、肯定とも否定とも取れない曖昧な言い回しをすれば、マジシャンの意図としないカードを除外する時、Aさんに疑心を与えないでしょう。

 この「マジシャンズチョイス」は、詐欺の手口のひとつとしても多用されている手法です。
 詐欺の場合は、後から気付けば、自身が他人によってコントロールされていた事に気付きますが、得てして長い人生の中で人間は、自身が意図として人生を選択していると思われがちです。
 しかし実は、自身が人生の岐路に立った時、自身でも気付かないうちに、他人にその選択権を握られている事もしばしばあるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月22日 (火)

人間が・・・極限状態で・・・最後まで・・・欲求は・・・

 人間が極限状態におかれ、死の淵を彷徨う直前まで残される欲求とは、

「食欲」「睡眠欲」、そして「性欲」である。


 それは、生きようとする事に対する何よりも強い意志であり、人間としての尊厳を保つ為の手段でもあり、種の存続の為の動物的本能などと言う、言葉だけでは片付けらるものではなく、また、決して醜いものでもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月20日 (日)

完璧で・・・真正面から・・・家族だ。

完璧でない自分を、真正面から受け入れてくれのは家族だ。
-世界ウルルン滞在記8/20放送嘉門洋子コメントより-

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事が出来る男性の婚期は早く、仕事が出来る女性の婚期は遅い!?

 仕事が出来る男性は、初婚年齢が低く、また、仕事が出来る女性は、初婚年齢が高いように思われます。

 逆に、仕事が出来ない男性は、初婚年齢が高く、仕事が出来ない女性は、初婚年齢が低いように思われます。

 経済力のある男性は、早く自身の家族を作りたいと家庭を持ち、また、経済力のある女性は、現在の生活レベルや生活リズムを落としてまで結婚したいとは思わないようです。
 そういう女性が結婚を決意する時というのは、やはり本当に好きな人が出来た時で、且つ、自身の現在の生活レベルや生活リズムを維持するか、若しくは、それ以上の生活レベルや生活リズムが維持できるという条件を満たした時のみでしょう。
 そして、そういう女性が望む理想の男性が少ない、または、仕事が出来る男性は、そういう女性をあまり好まないという事も、経済力のある女性の婚期が遅くなる原因でしょう。

 仕事が出来ない男性は、たとえ仕事に就いていても、戦力になっていないため低賃金で経済力(家族を養えるだけの最低限度生活できる経済力)が無く、そんな男性には、結婚を本気で考えている女性はついて来るわけもなく、婚期が遅れるのは当然でしょう。
 女性は基本的に、結婚に対してシビアで現実的で、しっかりした考え方(基本的に勢いだけで結婚する女性はいない)を持っているからです。
 そして自立していない女性の婚期が早いのは、(多少妥協してでも)結婚する事こそが生きる為の術だからです。
 現在の日本では、女性の社会進出や、出産・育児に対する女性擁護体制が大きく前進したようにメディアでは報じていますが、実際にその傾向が見られるのは公務員や大企業のみで、中小企業では、女性の正社員採用を新卒のみに限っている企業や、中途採用の場合その殆どを、期間、派遣、パートなどで採用し、しかも低賃金であるため、事実上、女性が自立する事自体が現在でも困難です。

 ちなみに、日本人の平均初婚年齢は、平成16年のデータによると男性が29.6歳、女性が27.8歳です。
 また、晩婚化は特に都市部を中心に加速の一途を辿っています。
 平均初婚年齢のデータは、厚生労働省統計表データベースシステムより抜粋しました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年8月16日 (水)

徳川家康 -人生訓-

人生訓

一、人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし。
一、心に望おこらは困窮したる時を思い出すべし。
一、堪忍は無事長久の基。
一、怒は敵と思え。
一、勝つことばかり知りて敗くることを知らされば害その身に至る。
一、おのれを責めて人を責むるな。
一、及はさるは過ぎたるよりまされり。

慶長八年正月十五日
徳川家康

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現代の警察官の考えは甘い!・・・・・重大で・・・・・優遇されているのだから

 日本の治安と民衆の生活を守る。
 それが警察の任務だ。
 どんな理由があろうとも、男であろうと女であろうと、一度その職に就いた以上、任務の過程で命を落とすのは至極当然の事。
 それをいちいち気にする方が可笑しい。
 全ての警察官は、それくらいの覚悟を持って任務を全うすべきで、その任務は重大なものだ。
 警察官の立場と生活レベルは、民間人に比べて優遇されているのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 6日 (日)

人間は、自己生存の為、自己意思と関係なく本能が精神を支配する!

政府の連中も結局は人間。
我が身可愛さのあまり、
問題は誰かがどうにかしてくれると思っている。

人間は兎角とかく、暴力の恐怖に弱く、
その統制から、只々ただただ生きる事だけが目的となり、
誇りも尊厳も失う。

自分の命を懸けてまで、
人間の誇りと尊厳を守れる者など
そうはいない。

ただ生きるだけなら、誇りも尊厳も必要ないからだ。

るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-より

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月22日 (土)

運命と偶然!

偶然とは努力した人に
運命が与えてくれる橋です。

映画「猟奇的な彼女」より

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月17日 (月)

出会いから永遠の誓いへ!

 
!?

ナンパからの進展は、「運命」と、
合コンからの発展は、「友人の紹介」と、
お見合いからは、「親を安心させる為」と、

何かと理由付けするものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

花開くまで!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月30日 (日)

「世界がもし100人の村だったら」/そのルーツと各々の価値観!?

 「世界がもし100人の村だったら」という話が、多くの人に知られるようになったのは、1990年代後半の頃でした。

 「世界がもし100人の村だったら」の原典は、1990年5月、週刊新聞「The Global Citizen」上に、「村の現状報告」というコラムで、アメリカの環境学者ドネラ・メドウズ氏(2001年2月他界)が掲載したものです。
 原典では、冷戦末期の世界を1000人の村に比喩し、世界の様々な実態と格差を論じています。

 その存在を世界に知らしめたのは、チェーンメールでした。
 日本にこのチェーンメールが上陸したのは、2001年の初めの頃です。
 チェーンメールは、3つの特徴があります。
 1つは、発信者が不明である事です。メールの内容に、全く責任を持っていないという事の証明でもあります。
 2つ目は、情報の信憑性に欠けるという事です。メールの内容が途中で削除されたり、書き換えられたり、付け足されたりするという事です。
 3つ目は、短時間で爆発的に広がりを見せるという事です。メールは手軽に送信でき、また手に入った新しい情報は、すぐにでも人に伝えたいという人間の心理を巧みに利用したものであり、その情報が興味を惹くものであれば、尚更その効果は発揮されます。

 「世界がもし100人の村だったら」は、純粋な気持ちで読めば、とても勉強になり、人の価値観を良い意味で変えさせ、また人を成長させ、自分に出来る事は何か無いのだろうか(たとえ何も出来なくても、そう考えられる様になっただけで、これを読む価値はある)と、考えさせられる文章です。

 しかし、疑心の目でこの文章を読むと、逆に考えさせられる部分もあります。
 その根拠は、どこの誰とも分からない(どんな思想を持った人か分からない)人が、原典である「村の現状報告」を読んで、チェーンメールという悪質な手段で、一番最初に世界に配信したからです。

 原典には肌の色に対する記述はありませんが、「世界がもし100人の村だったら」では、「70人が有色人種で30人が白人」という記述があります。
 「世界がもし100人の村だったら」では、文章上で世界の格差を論じているにも拘らず、赤色人種(北中南米先住民)、黄色人種(アジア系)、黒人(アフリカ系)などを「70人の有色人種」として一括りにし、白人(欧米系)のみを30人として記述し、見方によっては、この記述の段階で白人以外の人種を見下しています。

 原典では宗教の記述に関して、「キリスト教徒」、「イスラム教徒」、「ヒンドゥー教徒」、「仏教徒」などと明確に記述されているのに対して、「世界がもし100人の村だったら」では、「70人がキリスト教以外の人で30人がキリスト教」と記述されており、これも見方によっては問題です。

 原典では富に関しての記述はありませんが、「世界がもし100人の村だったら」では、「6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍」と記述されており、残りの富の41%の所在が記述されていません。
 全ての富の所在を記述する事は不可能ですが、ある程度の記述は必要です。

 3点ほど、原典と「世界がもし100人の村だったら」の記述の違いを挙げましたが、「世界がもし100人の村だったら」は、「アメリカ合衆国」中心に記述されているという事です。
 「世界がもし100人の村だったら」は、世界の格差をどう無くすのかを説いていますが、この文章の記述上で既に格差が生じています。

 もうひとつ、「世界がもし100人の村だったら」では、「もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。」との記述があります。
 この記述は、「戦争」という巨悪によって、死の危険、捕虜もしくはいわれのない戦犯によっての投獄、また民間人の戦争混乱中の飢えの苦しみを、世界で5億人が経験しており、そんな経験をした事がない「あなた」は恵まれていますと説いています。
 しかし、その戦争という不幸を吹っ掛けている国は一体どこなのでしょう?
 太平洋戦争中以後、アメリカ合衆国によって空爆された国と地域は次の通りです。
 日本、中国、朝鮮半島、グアテマラ、インドネシア、キューバ、コンゴ、ペルー、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビア、エルサルバドル、ニカラグア、パナマ、イラク、ソマリア、ボスニア、スーダン、ユーゴスラビア、アフガニスタン、以上22ヵ国です。

 「村の現状報告」という原典が記されたのは、1990年5月で、日本に「村の現状報告」の改変されたチェーンメールが上陸したのが2001年の初めであり、最初「世界がもし100人の村だったら」をアメリカ人(身元不明)が創作し、チェーンメールとして配信し、アメリカ合衆国国内を中心に、その10年の間にその過程で、メールの内容は複数のアメリカ人によって削除され、また付加されています。
 その根拠は、「世界がもし100人の村だったら」の元になった、このチェーンメールの内容が先にも挙げた様に、身元不明の原作者自体がアメリカ合衆国にしか興味を示さず、アメリカ合衆国中心の文章に仕立てているからです。

 アメリカ人のドネラ・メドウズ氏が記した原典では、全ての世界の問題に対して、第3者的、公平な立場で論じていますが、「世界がもし100人の村だったら」では、主観がその全てを支配しています。
 「世界がもし100人の村だったら」の記述の中に、「あなたは、~の人達より恵まれています。」という記述が多く用いられています。
 「死の危険を感じながら毎日生きている人たち」を見て感じて、自分は幸せだと思いなさいと言っています。
 不幸な環境に生きている人に比べて、幸せな生活を送っている人がこう思ったとしたら、その人は向上心を無くし、その環境に甘んじ、そしてやがて現状よりも悪い状況に追い込まれるのは必至です。
 そもそも、「他人の不幸」と「自分の小さな幸せ」を比べる事自体ナンセンスであり、また比べられた相手は一体どんな気持ちになるでしょう。
 彼等にもプライドがあり、同情されるような生き方はしていません。

 自分は、「字が読める」とか、「裕福だ」とか、「日本人で良かった」とか・・・、それはただ「幸せ」という事を感じているのではなく、恵まれていない環境の人達を見下し比較対象にして、ただ同情し哀れんで優越感に浸っているだけではないのでしょうか?
 そうではないという人がいるのなら、恵まれない人達が多くいると知った瞬間から、行動を起こすべきです。
 その事実を知った上で傍観していると言う行為は、結局何も知らずに何もしない人と同類です。
 同情し涙するだけなら、誰にでも簡単に出来るのです。
 恵まれている人達には、民間人と言えどもある程度の政治力と行動力、そして富があるのですから。
 それが出来ないなら、やはりそれはおごりです。

 また、自分は、こんな悩みや不幸を抱えている。
 しかし、世界にはもっと深刻な状況を生きている人がいる。
 確かにこう考えれば、自分が今抱えている悩みや不幸は小さなものに感じられるかも知れません。
 しかし自分が生きている国は此処であり、遠い国に生きているわけではありません。
 遠い国で考えれば、現状の自分の不幸は取るに足らないものになるかも知れませんが、少なくとも今此処で生きている国では、自分が抱えている問題は深刻な事に変わりはないのです。
 ただ、「世界がもし100人の村だったら」を読んで、この本に救われた人もいる事は事実であると思います。
 例えば、極論になりますが、自殺する前にこの本を手にとった人とか。
 そして実際に救われているのは、この本を多く読んでいる恵まれた国の人がほとんどで、この本によって救われる恵まれない国の人々はごく一握りです。
 また、極論と書きましたが、「世界がもし100人の村だったら」自体が極論です。
 実際、「世界がもし100人の村だったら」を、身近な自分の存在として読んだ人は少ないと思います。
 平和な日常では考えられない問題が生じているのは遠い国であり、その実情は、平凡な暮らしをしている人にとって想像を超越しているからです(想像しても、想像しきれない次元の世界)。
 以上の様な事から、「世界がもし100人の村だったら」では、「あなたは、~の人達より恵まれています。」と言う事だけが前面に出ています。

 しかし、原典の「村の現状報告」でドネラ・メドウズ氏が本当に伝えたかったのは、この様な事だったのでしょうか?
 原典では、裕福な先進国の記述がありますが、それと同時に先進国による世界の破壊の内容も記述されています。
 つまり、先進国の裕福な環境は、発展途上国の上に成り立っており、先進国の身勝手さを改善すべきと説いています。
 分かりやすく言うと、現在の状況で、なぜアメリカ合衆国があそこまでイラクに固執するのでしょうか?
 鉱物資源などの利権や、イスラム国家に対する勢力拡大が絡んでいます。
 その様な状況を打破しなければ、世界の格差はなくならないと原典では説いています。
 そして原典では、「誰かより、あなたは恵まれている。だから満足しなさい。」などの内容の記述は一切ありません。
 ドネラ・メドウズ氏が伝えているのは、「先進国がいかに恵まれているか」、そして「先進国がさらに裕福になるために世界に与えている脅威を、先進国が自ら進んで取り除くべき。」と、この2点を問題提起としています。

 「世界がもし100人の村だったら」は、最後に「あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。」と締め括っています。
 この言葉は真さに、先進国の人たちに対して発せられた無責任な言葉です。
 ドネラ・メドウズ氏が生きていたなら、がっかりするでしょう。
 この言葉は、明日をも知れず、懸命に今を生き抜こうとしている人達にとって、心底うなずける言葉でしょうか?
 この言葉からも分かるように、「世界がもし100人の村だったら」は、先進国の人達(特に白人)のみが自己満足できる内容です。
 ただ、グレーゾーンを無くして、良いものか悪いものかで判断すれば、間違いなく正論であり、深く考えさせられる内容である事は間違いありません。

 余談ですが、ほぼ同じ内容のものが、NHK教育テレビ「ETV2002・100人の地球村からのメッセージ」と題して、以前放送されました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月14日 (金)

名言です!

山下智久君演じる黒崎(クロサギ)が言った名言です。
「家族の為に生きられないなら、人の親になるな!」
(lllд) З (Д)

クロサギ:原作/黒丸・夏原武(原案)
脚本/篠崎絵里子

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 9日 (日)

結婚生活を継続させる為の夫婦間の価値観!それに対する他人の価値観!

 以前、平成16年の離婚カップルは、270,815件(厚生労働省平成16年人口動態統計より)と書きました。
 離婚理由には、「DV(暴力・無関心・無視)」、「借金」、「ギャンブル」、「酒乱」、「定職なし」、「家事の放棄」、「不倫」などの重大なものから、「トイレの入り方」、「靴の脱ぎ方」、「食事の仕方」などの些細なものまで、離婚原因を挙げるとキリがありません。
 そのほか、『価値観の相違』という、端から見れば漠然とした理由で離婚される方もおられます。

 『価値観の相違』という理由の実情は、「趣味嗜好の相違」という漠然とした理由ではなく、重大な理由から些細な理由まで、破綻を招く数多くの理由が積み重なって、他方の耐え得るべき許容を超えた時、『価値観の相違』という漠然とした理由となって離婚に結びつくと思われます。
 ここで示した『価値観の相違』とは、配偶者間の関係性での『価値観の相違』の事です。

 また、女性によってもそれぞれの【価値観の相違】があります。
 ある女性から、ある夫婦の妻を見た時、「なぜ、あんな夫といつまでも一緒にいるのだろう?」、「なぜ、さっさと別れないのだろう?」という場面がよくあります。

 例えば、こんな女性(Aさん)はどうでしょう?
 Aさんは初婚で、バツイチの男性と結婚し、その男性とAさんとの間には子供がいます。
 その男性には連れ子はおらず、その子はAさんの実子です。
 Aさんとその男性の年の差は、親子ほどの歳が離れており、Aさんが年下です。
 その男性は酒乱で、Aさんに暴力を振るいます。
 さらにその男性は、不倫もしている様です。
 その男性は、定職に就いてはいますが低所得で、しかも、Aさんの献身的な家計のやりくりに神経質に口を出します。
 しかしAさんは、その男性と別れようとはしません。
 Aさんが自ら進んで別れないのか?それとも、良くも悪くも何か理由があって別れられないのか?
 いずれにしても、Aさんがこの結婚生活を続けているという事は、少なからずの利益を見い出しているという事に間違いはありません。

 この一例は少し強引に設定しましたが、こんな過酷な状況に耐えながら、結婚生活を維持している女性も多いと思います(もちろん過酷な結婚生活を、逆に男性が耐えているパターンもあります)。
 まず、「バツイチ」と聞いた時点で、この男性は「アウト」と判断し、結婚しない女性もいると思います。
 次に、「親子ほどの歳の差」、これで「結婚相手としては考えられない」という女性も多いと思います。
 幸いこの男性に連れ子はいませんでしたが、「連れ子がいる」ことで「結婚しない」、また「酒乱」なので「離婚」、「DV」が理由で「離婚」、「不倫」するので「離婚」など。
 そしてこの例では、定職には就いていますが、「定職に就かない」事で「結婚相手には相応しくない」又は「離婚」、「低所得」なので「結婚しない」又は「離婚」、「神経質な性格」なので「結婚しない」又は「離婚」などの判断基準が女性によってそれぞれ分かれてきます。
 少なくともAさんは、この全てのマイナス要因を、結婚生活を続けていく上で受け入れ、そしてそのマイナス要因は、全てAさんの許容の範囲内です。

 この様に結婚生活を営んでいく上での判断基準は、それぞれの女性の価値観によっても異なってきます。
 これも、【価値観の相違】であると思われます。
 ここで言う【価値観の相違】とは、それぞれの女性が持つ【結婚生活における許容の相違】という事が、【価値観の相違】であると言う事です。
 先に示した夫婦間の『価値観の相違』の関係性とは、また別の関係性です。
 もし例に挙げた男性が、Aさんではなく他の女性と結婚していたならば、即離婚となっていたか、もしくは結婚すら出来ていなかったかも知れません。
 この男性の結婚生活での言動が、Aさんのこの結婚に対する【許容の範囲】をたまたま越えていないために、この男性は運良く結婚生活を続けて行けるのです。
 Aさんの【許容の範囲】をたまたま超えていないと書きましたが、【許容の範囲】はとっくに超えていて、それでも「別れない」、「別れられない」理由があるから、結果この男性を渋々許しているという方が正確なのかも知れません。
 Aさんという「女性」を架空のモデルに設定しましたが、もちろん逆もありで、「男性」にも【許容の範囲】=【価値観の相違】はあります。

 「夫婦喧嘩は犬もくわない」ということわざがありますが、「夫婦生活」は、その夫婦にしか分からない『夫婦独特の価値観(夫婦間の関係性)』が存在します。
 またそこには、「別れない」、「別れられない」という、一方(耐えている方)の理由が大前提としてあります。
 その夫婦の関係が、他人(親兄弟姉妹も含む)から見れば非常識で耐えられないであろう関係として見えたとしても、その夫婦の片方の『許容の範囲』を、片方の言動が越えなければ離婚は成立しません。
 そして耐えている方は、他方の言動を許容してまで、「小さな利益」や「小さな幸せ」を継続させようと、結婚生活を続けようとします。
 言葉を変えれば、マイナス面を無理に受け入れたとしても、プラス面を考えると、耐えている方にとってこの結婚生活は、実は居心地が良いという事です。
 しかし、そのたがが外れ「小さな利益」や「小さな幸せ」を捨てた時、まっしぐらに離婚に突き進みます。

 離婚件数は、毎年増え続けています。
 配偶者から受ける苦痛が、現代では多岐に渡り、また重くなっています。
 それはただ単に、【価値観の違い】や『価値観の違い』だけでは説明できない、理由になっているのかも知れません。

 この記事は、女性を中心に書いていますが、もちろん逆もしかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 6日 (木)

「同棲生活」を考える!同棲生活を送るには、当人同士の責任ある行動と、双方の親達の理解が必要!!

 「同棲生活」と聞くと、嫌悪感をお持ちになる方もおられるかも知れません。
 特に、娘さんを持つご両親。

 平成16年の離婚カップルは、270,815件(厚生労働省平成16年人口動態統計より)だそうです。
 その中で、婚姻後5年未満で離婚したカップルは、93,932件(同統計より)で、離婚件数の実に35%を占めています。
 婚姻後、妥協し続けて、もって5年。
 そんな夫婦が、特に若年層に多く見られます。

 子が婚姻できる年齢に達している親の世代が考える「同棲」とは、一体どの様なものなのでしょうか?
 息子さんを持つ親は、他の親が大切に育てられた娘さんに、自分達の息子が無責任に関係を結ぼうとする事が問題で、その考え方は、まともな考えを持った親であると思います。
 娘さんを持つ親は、誰だか分からない無責任な男性に、婚姻前の大切な娘が迫られるなどと考えると、やはり虫唾むしずがはしり、この様な考え方をする親もまともであると思います。
 あと考えられるのは、息子、娘を持つ親の中には、世間体や、道理など考える親も当然いると思います。

 つまり親が考える「同棲」とは、良くも悪くも「関係を持つ持たない」の話が前提になっています。
 それはそれで、まともな親の考え方であるという事は間違いありません。
 しかし最近の若年者(16歳~35歳)の男女かかわらずそのほとんどは、親の知らない間に、婚姻前に誰かと関係を持っているものです。
 固定電話の時代、相手にコンタクトを取ることすら難しい状況でした。
 しかし今は、携帯の時代です。
 申し訳なく汚い言葉をあえて使うと、「みんなやってます」。

 私は、婚姻を前提としない遊びの(ネガティブ的)同棲には反対です。
 それは、まさしくママゴトであり、全く双方に責任感が無く、ただ単に遊びの延長だからです。
 しかし、婚姻を前提とした、つまり婚約前後に同棲をするとしたら、それは非常に大きな意味を持つことになります。
 期間を区切る必要はありません。
 双方それぞれが納得のいくまで同棲をし、双方が合意できれば婚姻すれば良いのです。

 結婚に「待った」はありません。
 結婚は、自分の第2の人生を相手に捧げるための大切な入り口です。
 (ポジティブ的)同棲は、いわば結婚生活のシュミレーションなのです。
 そして関係を持つのは勿論ですが、避妊が絶対条件です。
 出来れば子供ありきのシュミレーション(子供が出来た途端に、関係が崩れる夫婦もいるから)がベストですが、それこそ順序が全く逆になってしまうので、子供が出来れば即結婚が当たり前です。
 経済、精神、肉体の3つを共有し、良くも悪くもこの3つの全てを、これからの自分の人生で受け入れられるのかどうか、しっかり見極める必要があります。
 週に1,2回しか会わなければ、相手は自分を良く見せようと、経済、精神、肉体全てを取繕とりつくろいます。
 しかし同棲すれば、どんなに相手が取繕っていたとしても、24時間365日取繕う事など不可能なのです。
 必ず「ボロ」が出ます。
 要は、その「ボロ」を受け入れられるかどうかという事なのです。

 長年連れ添っている多くの夫婦は、その「ボロ」を受け入れ、互いが妥協し合い夫婦関係を続けています。
 (妥協するのは、夫婦間で立場の弱い方が我慢し続けているという例外的な夫婦もいますが・・・。
 例えば、夫に経済力があり過ぎて、妻は何も意見できないとか。明らかに、妻がずっと妥協し続けています。しかし妻は、別れられない。別れれば、自分が路頭に迷うからとか、子供を夫に取られ子供に会えなくなるからとか、又は、現状の良い暮らしが出来なくなるとか。
 例えば、妻に、自分の親の借金を肩代わりしてもらっている夫とか。それを理由に何も言えない上、離婚も出来ないとか。だから、ただただ妻と暮らすしかない夫とか。
 例えば、浮気性の妻だが、惚れたのは夫であり、そんな妻でも良いから一緒に居たいと、離婚に踏み切れない夫とか。)
 DV(暴力)、ギャンブル、定職に就かない、浮気・・・の他、箸の上げ下ろし、トイレの入り方、靴の脱ぎ方、掃除の仕方、などなど例を上げるときりがありませんが、それら「ボロ」をそれぞれの夫婦がそれぞれの価値観と利害の一致で受け入れ、夫婦生活を続けています。

 3年4年と親公認で付き合い、相手の事を分かっていたつもりで婚姻しても、いざ結婚生活が始まると「アレッ!」と思ってしまいます。
 結婚してから「アレッ!」と思って、我慢して相手を受け入れたとしても、もって5年(同上統計より)。
 つまりそれは「×」(バツイチがハンディになる時代ではないですが)がつく事であり、また5年という無駄な時間を過ごした事になり、ひょっとしたらもう既に適齢期を過ぎているかも知れません。
 結婚前に同棲して「アレッ!」と思って「この人はダメ!これだけはダメ!」と思って別れてしまえば、それはただ「普通のカップルと同じ様に付き合っていた」だけの関係であり、自分自身も、自分の親もダメージが低くて済み、我慢して5年の月日を過ごす必要もありません。
 時間を無駄にすることなく、次の恋に行けます。

 「同棲」に対する一番浅はかな考え方は、若年者も親もただ単に「遊び感覚」や「道理順序に反している」から、という様な考え方からだと思います。
 若年者はまず、自分に責任を持てる大人になって、そしてこの人の為なら、命を懸けてでもサポートしていきたいと思える位のパートナーを見つけてから、「同棲」を考えるべきです。
 そして親にとって、自分の命よりも大切な存在である息子さんや娘さんの幸せな結婚を願うなら、息子さんや娘さんから紹介された異性に対して賛成反対するのではなく、相手を見極めるためにも、ある程度同棲という行為を許容して、「同棲」というライフスタイルを、親の方から提案してあげても良いのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年4月 4日 (火)

ケンカ別れはよくない!?一生後悔する事になる!

 親や子とのケンカ。
 兄弟姉妹とのケンカ。
 祖父母とのケンカ。
 恋人とのケンカ。
 親友や友人とのケンカ。
 その他、大切な他人とのケンカ。

 2005年4月25日午前9時18分、JR西日本福知山線で列車事故が起こりました。
 間もなく1年を迎えます。
 この事故の死者は107人、負傷者は500人以上と伝えられています。
 通勤通学の時間と、事故の時刻が重なったため、JR発足後、史上最悪の鉄道事故となってしまいました。

 「悲しみ」という感情に尽きるとは思いますが、一部に別の感情もあったのではないかと思われます。
 亡くなられた方の中に、家を出る直前や前夜に、家族の誰かと些細な事でケンカをし、この列車に乗車された方は、おられなかったのでしょうか?
 もしおられるとしたら、亡くなられた方も、またその家族の方も、後悔をしていると思います。
 一瞬で亡くなられた方は、後悔の念にさいなまれる暇すら無かったと思います。
 しかし、事故後数分間、生きておられて、その数分後の「自分の死」を悟り、その後亡くなられた方は、家族の顔を浮かべながら、「家を出る前に家族とケンカしなければよかった。」と、後悔しても後悔しきれない位の苦しみを、背負いながら亡くなったと思います。
 またその家族の方は、後悔の念だけではなく、反省と罪の意識さえ感じているのではないでしょうか?
 そして家族の方(友人や親友、その他親しい人たち)は、その意識を背負って、残りの人生を生きて行かなければならなくなってしまったと思います。
 助かった方は、その後、間違いなく家族などと仲直りをし、双方、「生きているだけで幸せ」という事を再認識したと思うのです。

 不慮の事故は、誰の身にも起こりうる事です。
 みんな、自分は死なないとか、家族は大丈夫だ、などと決め付けて変わり映えのない毎日の生活を送っています。
 しかし、死は突然訪れます。
 死なないのは、ただ運が良いだけ。
 普段の生活の中で、些細な事でケンカをし、次に会った時に仲直りすればよいと思っていても、手遅れになる事もあります。
 ケンカ別れは、双方、取り返しのつかない後悔の念のみを残します。

 ケンカ別れは、意識的にしない様に心掛ける事が大切です。
 だから出来れば、ケンカをした後ではなく、ケンカ直後に仲直りをし、解決してから別れたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年4月 3日 (月)

相手に、愛しか求めない純粋な関係が恋人関係!

 親子兄弟姉妹とは、血で繋がっています。
 友人とは、信頼関係で繋がっています。
 ビジネス上の関係は、お金で繋がっています。

 恋人とは愛で繋がっています。
 ただただ、理由なく無性に愛し愛されます。
 それは真に純粋な関係であり、しかしそれは、愛が全てであるがゆえに、簡単に破綻しやすい関係でもあります。
 いわば、愛以外を共有しない、各個人が独立した結びつきです。

 しかし結婚相手となると、そこに経済が絡んできます。
 それは人間のいやらしさであり、またそれがないと結婚できません。
 結婚とは、相手の経済、肉体、精神(愛、情)、さらに子供の4つを共有するものです。
 そして、自分の一生を相手に捧げ、相手の人生も自分に捧げられ、お互いがお互いの人生を共有する事です。
 そう考えると、愛が全てである単純で純粋な恋人関係と違って、生活を共有し、いやらしく計算された夫婦の関係はそう簡単には破綻しません。
 共有しているものが多いからこそ、共有事項が1つ2つ欠けたとしても、別れられないのです。
 別れるとなると、今後のお互いの個人としての生活を考え、経済、肉体、精神、子供と全ての問題を膨大な時間を掛けて解決し、必要なら男女関係なく賠償しなければならないからです。

(^3^)/チュッ~♥ポ(o´∇`o)ポ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年2月19日 (日)

秘密裏情報や飽和状態にある情報を的確に掴み、相互比較して正確な情報のみを知る事が人生を左右する?

 日本では、基本的には言論の自由が認められています。
 第3者の誹謗中傷をしなければ、訴えられる事もありませんし、ましてや、国家によって逮捕起訴されるなどという事もありません。
 ひと昔前では、自分の思想やその他情報などを多くの人に伝えるには、街頭に立ったり、出版社に頼ったり、TVや新聞社などにある程度のお金を払って、お願いするしか方法がありませんでした。
 しかし最近ではメディアを通さず、自宅や会社のPCから好きなだけ好きな情報を発信し、世界の人たちに見てもらえる時代になりました。

 つまり、莫大で幅広いカテゴリーの情報が氾濫していると言ってもよいでしょう。
 このような状態にあるのは、アメリカや日本など民主主義国家の国々がほとんどです。
 逆に政府によって、情報制限を受け、また情報自体を操作している国家も存在します。
 このような状態にあるのが、北朝鮮や中華人民共和国などの共産国家です。

 日本などの民主主義国家では、情報がインフレ状態で、国民は虚偽の情報を省く作業を、自身の頭の中で時間をかけて行い、真実の情報を掴むまでに膨大な時間を費やさなければなりません。最悪、何が真実なのか分からない事も多々あります。
 中国などの共産国家では、国家政府にとって不利な情報は隠され、また情報を操作され、国民は虚偽の情報を信じるしかありません。ちなみに、戦前の日本はこうでした。

 2/19付けYOMIURI ONLINEの社説(2)によると、中国の新潮流(共産党系でない出版物)である週刊新聞「氷点週刊」が、「自国(中国)の歴史教科書は事実を記しておらず、日本の教科書批判だけでなく、自国(中国)の教科書も見直すべきだ」などと主張した記事を掲載したため、中国政府によって、停刊と編集長更迭処分を下されたそうです。

 中国と日本の「歴史」というテーマについて互いの国の間で、中国政府は日本外交の武器として、日本は当時の歴史を出来るだけ封印しようとし、中国国民は中国政府から与えられた情報が全てであってそれを真実と信じ、逆に日本人は、中国政府の最新情報と日本政府の最新情報が常に入ってくるため、結局知識を入れれば入れるほど何が真実なのかよく分からなくなってきています。

 話が中国との歴史問題に飛びましたが、中国歴史問題での両国民の反応でも分かるように、情報とは、少なすぎても、逆に多すぎても、真実を見極めにくいという事です。
 このような状況の中で出来るだけ真実に近い情報を掴むには、与えられる情報量自体が操作され少ない国家は問題外ですが、少なくとも日本では情報が溢れており、当然その中に真の情報も含まれているはずなので、キャッチした情報をすぐ信用せず、出来るだけその物事に関する情報を収集(情報発信元のネームバリューは気にしない事が重要)し、比較し、ふるいにかけて見極める事が重要であると思います。

 情報発信元のネームバリューに少し触れましたが、将来の年金支給額(支給額が所得の5割を割るとか割らないとか)や出生率など政府でも情報(あまり重要でない/国民の命に直結しない)操作を安易に行う時代です。
 情報発信元が、政府であろうとタブロイド誌であろうと、提供されている情報から、何が真実なのか見極めるのは自分自身であり、その自由があるのが今の日本であると思います。(実は日本政府も情報操作している?このタブロイド誌の情報は本当か?と疑った上でその情報をキープする事が大切)
 そういう真実を見極める癖を身に付けておけば、極論ではありますが、金銭的な打撃や、命に関わるようなリスクを減らす事が出来るのではないでしょうか。

 最後にまた話が飛びますが、以前日刊スポーツの記事で、「米マイクロソフト社が中国政府のブログ検閲に協力する」と伝えていました。
 中国の人たちは、自分の考えで自由にブログすら書けないのです。
 中国国内でブログを公開しても良いのに、書きたいことが書けないブログとは意味があるのでしょうか。
 そして、中国国内からの海外ウェブ閲覧も政府によって制限されています。
 中国の人たちには同情します。
 最後は中国政府の批判のようになってしまいましたが(中国国民は何も悪くないと思います)、おそらくこの記事が、中国国民に閲覧される事はないでしょう。

でも実は、日本政府に操られているのは私たち日本人なのかも?(いろんな意味で)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月28日 (土)

「同情する」という行為。あなたは一体どこまで責任を持って同情しているでしょうか?

 もしあなたの大切な他人(恋人や婚約者ではなく、友人や知り合いなど)が、何か人生を左右するような重大な不幸に見舞われ、一生それを背負っていくとしたら、あなたはいつまで、どこまで、どんな言動をとりますか?

 おそらくその不幸が家族(恋人や婚約者も含む)に降りかかったなら、一緒になって背負っていく人が多数を占めると思います。
 しかし、大切な他人の不幸を、あなたは「同情」という言葉だけで背負えますか?
 大切な他人のために、あなたの数十年という人生設計が狂ってしまうのを覚悟で、背負えますか?

 他人に同情するのは簡単な事です。
 その場しのぎの薄っぺらな言葉(頑張ってなどの挨拶代わりの言葉)は、大切な他人を必ず傷つけます。
 その場で、その不幸な人を慰め励まし、涙を流すことは誰にでもできることです。
 その場を離れて、家に帰れば、その人の事を、ずっとは考えないでしょう。

 しかし、不幸に見舞われた人の家族はそうはいきません。
 朝起きた時も、食事をしている時も、風呂に入っている時も、トイレに入っている時も、そして寝ている時も、その人の事を必ず気にかけて、そして同じ苦しみをずっと背負っています。
 家族は、慰めや励ましの言葉でさえ、気をつかい、そして言葉を選びます。
 また、逆に家族だからこそ、慰めや励ましの言葉などを掛け辛い環境にあるのです。

 「同情する」という行為は、映画やドラマの悲劇の主人公に対してだけに、するべき行為です。大切な他人を背負えないのなら、同情などすべきではないのです。大切な他人に対して失礼です。

 大切な他人は背負えない。けれど大切な他人を慰めたい、少しでも気分を楽にさせたいと思うなら、覚悟を決めて大切な他人に接するべきです。

 そうしないと、大切な他人の心を傷つけ、良好だった関係もいずれ破綻してしまいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月15日 (日)

「自立」と「結婚」に対する子と親の微妙な関係

「自立」と「結婚」に対する「子」と「親」の微妙な関係

 ここでは、経済的な自立ではなく、精神的な自立について少し書いてみたいと思います。

 「子」が子供の間、何か行動を起こす時、まず「親」の許可を受けてから行動を起こします。
 当然、その行動に対して親が許可をしない場合、一般的に子は行動を起こすことはできません(親に負責の義務があるから)。

 しかし「子」が成長し「大人」になれば、親の許可を得なくても、全ての行動を自ら決定し行動するようになります。
 例えば、友人と旅行を計画し行って帰ってきたとします。親には、「旅行に行ってきた」と、報告で済みます。「旅行の例」は一例に過ぎませんが、大人なればこのような全ての行動が、
許可ではなく報告でできるようになります。

 しかし、「結婚」はどうでしょう。こればかりは、親への「報告」では不十分で、明らかに「許可」がいります(法律上は当然無許可でOK)。が・・・、

 映画の話にとびますが、映画「タイタニック」で、今まで母親の言いなりだったヒロインが、「グッバイ、マザー」と言い残して、救命ボートから恋人のいる沈みかかった本船へ、飛び移るシーンがあります。あれは典型的な親からの自立のシーンであると思います。
 つまり、
「親」よりも「大切な人」ができ、今持っている全ての幸せを捨ててでも、これからの人生に懸けるということは、子供から大人への第一歩であるからです。が・・・、

 親にしてみれば、結婚相手が色々な理由で、気に入らない場合も多々あるでしょう。親は、子を幸せにするという責務として、結婚に反対する権利を持っていると思います。
 それは、この先ずっと子に恨まれる事になっても、その覚悟で親として、失敗に終わることが分かっている結婚を許すわけにはいかないからです。が・・・、

 子にしてみれば、先ほどの「タイタニック」の話ではありませんが、すでに自立した大人です。この結婚が成功するか、失敗するかなど、未来のことは誰にも分かりません。
 もし親の言う通り、結婚を取りやめたならば、その子は一生自分の親を恨み続けるでしょう。そしてその後、自分は気に入らないのに、親の気に入った相手と結婚をしてうまくいけばいいですが、失敗した場合、親への恨みはさらに倍増するでしょう。
 当人にしてみれば、相思相愛の結婚を取りやめ、後々、後悔するよりも、結婚して、もしも結婚が失敗した時、後悔した方が、結局自分が決めた道なのですから、自分に正直に生きた事になり、得るものも大きいはずです。そしていまどき、バツイチは、さほどのハンディにはならない時代です。

 親としては子の幸せをと思い、子はすでに自立した大人。親の言うことも、子の主張も、どちらも間違ってはいないと思います。
 しかし子は、親よりも大切な「他人」ができた瞬間、すでに責任を持った大人として自立していると私は思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 8日 (日)

つき合うとは?結婚とは?浮気とは?

 賛否両論あるとは思いますが、読んでください

                 ⊂二二二(^ω^)二二つ

 文章なが(;^ω^)

 相手を完全に束縛ができる様になるのは、婚約や結婚をして初めて相手を束縛できる権利を得るのではないでしょうか?

 婚約なり結婚なりすれば、相手の「経済」「肉体」「精神」全てを共有することになり、どれか1つでも欠けると、通常の生活が成り立たなくなると思うからです。

 例えば男女関わらず、「働かない」「不倫する」「価値観のずれ」など、1つの過ちが、連動して他の共有事項を侵し、結婚生活が破綻してしまう可能性があります。

 しかし、ほとんどの夫婦が、「この人の為なら」と、打算し妥協しお互いが歩み寄って、結婚生活を成り立たせていると思います。(結婚生活を成り立たせる理由は多々あるとおもいますが・・・)

 つまり、夫婦間で全てのものを共有しているからこそ、相手が浮気をした時(結婚生活を破綻する可能性がある事項)、された方は、相手を束縛する権利を得ているのだと思います。

 しかし、未婚で婚約もしていない男女はどうでしょうか。基本的に恋愛は自由だと思います。

 仮に、お互いが好きでつき合っていたとして、相手が浮気(浮気の基準は人によって違いますが、ここでは他の人と結ばれるとします)をしても、された方は、浮気をした方を責めることはできても、束縛はできないと思います。

 浮気をした方が、された方の事を本当に好きだったならば、浮気はしないと思うからです。

 つまり浮気をした方は、浮気された方から、すでに気持ちが離れているわけで、浮気が成立した時点で、ふたりの関係はすでに終わっていると思われます。

 浮気をした方は、浮気された方と婚約をしているわけではなく、恋愛は自由(浮気をする瞬間、付き合っている人を選ぶ事もできたし、浮気をしようとしている相手を選ぶ事もできた)なわけで、浮気した方を、それ以上束縛できないと思います。

 浮気をされた方が、そう考えていない(とりあえず相手を責めて、改心させて、浮気はしないと誓わせて、自分は打算妥協して、相手を許して、そして束縛する)とすれば、もうすでに、浮気をした方との結婚を含めた今後の事を考えていると思います。

 そうしてしまう事(元さやで続けていく)は、浮気をした方もされた方も、将来を閉ざしてしまう可能性があるのではないかと思います。

 人が「つき合う」ということは、色々な人とつき合ってみて、最終的には一生を添い遂げる人(この人の為なら死ねると思えるぐらいの覚悟を持って結婚)を探す為であると思います。

 だから今現在、つき合っている相手よりも良い相手を探す為には、「つき合う」という恋愛は自由であり、つき合っているとはいえ、良い相手がいれば一目惚れということもあるので、双方に平等な権利であると思います。

 しかし正論は、浮気をする瞬間、そこは我慢して、一度、今つき合っている人と別れてから、新しい相手に会うべきだとは思います。(決して浮気を正当化はしていませんのであしからず)

 少なくとも浮気をされた方は、相手を改心させたとしても、改心している保証はないわけで、そして一瞬といえども裏切られているわけで、そういう人をこれから先ずっと束縛して続けて行くというのは、ほとんどのケースの場合、無理があると思います。

 また浮気をした方は、浮気をされた方に謝って許しをもらっても、浮気をしたという事実は消えないわけで、弱みになり、このまま浮気をされた方と続けても、浮気をする以前は素直に相手を思いやれていた事が、負い目から相手を思いやるようになってしまうと思います。

 「つき合う」という上で、浮気をするという事は、片方の気持ちが完全に一瞬でも離れていっているわけで、その瞬間から真実の愛が途絶えてしまう。まるで、綱渡りのような関係である。

 「つき合う」という事は、与えたり与えてもらったりする純粋な愛がすべてであって、どちらかの想いが一瞬でも一方通行になった時に、「つき合う」という形式が破綻する。

 つまりそれは、「つき合う」事において「浮気」という行為は、即、破綻の原因になると言う事である。

 しかし婚約や結婚をしている男女は、生活をする上で愛がすべてではない(寂しい事に)。共有しているものが数多くあり、だから過ち(結婚生活の障害)を犯しても、許す許さないは別にして、打算し妥協しお互いの歩み寄りで生活を破綻させないように解決する。

 参考までに付け加えると、婚約や結婚をしている男女の過ち(結婚生活の障害)とは、浮気だけでなく、働かないとか、親との関係とか、家事をしないとか、借金するとか・・・、とにかく色々あり、この障害過ちすべてが結婚生活破綻の原因になりうるのである。

 しかし、つき合っているだけの男女には、浮気以外は、関係のない障害過ちであり、それぞれの生活が独立しているため、破綻事項にはなりえない。

 結論は、人生の通過点としてつき合っている男女の恋愛は自由であって、そして、そこに「与え与えられる互いの真実の愛」がすべてであって、それがあれば、「浮気」という行為自体が存在しない。(各個人の独立した関係であり、問題が起こっても相手にたいした影響を与えない関係)

 もしも、人生の通過点としてつき合っている男女の恋愛の中に、「浮気」という行為が一瞬でも生じた時は、唯一ふたりをつなぎとめていた「与え与えられる互いの真実の愛」が消滅するわけで、関係は即破綻する。(「与え与えられる互いの真実の愛」がふたりをつなぎとめていた唯一の理由ではなく、元さやの関係を続ける他の理由があるならば、それは結婚も含めた今後の事を視野に入れている。相思相愛でない可能性が大であり、「つき合う」という関係性というよりも、打算妥協をしているという点から「結婚生活をしている夫婦」に近い関係性と言える)

 婚約や結婚している男女は、「共有する数多くのもの」もあるが、「生活を破綻させる数多くの過ちや障害」も多い。(決して各個人の関係性ではなく、良い事も悪い事もダイレクトに相手に作用する関係)

 もしも、婚約や結婚している男女に、「生活を破綻させる数多くの過ちや障害」というピンチが生じた時は、「共有する数多くのもの」の利害を計算し、関係を維持する。

 つまり、「人生の通過点としてつき合っている男女」は純粋な愛がすべてであるが、婚約や結婚している男女は、利害を計算して結論を出すということ。

 そして、「人生の通過点としてつき合っている男女」の関係は、「安らぎ」と「刺激」をひとりの人に同時に求めているのではないでしょうか。

 婚約や結婚をしいている関係性の場合、すでに「安らぎ」は「家庭」というもので手に入れており、「刺激」という擬似恋愛を「浮気」に求めるのだと思います。

 だからこそ、「人生の通過点としてつき合っている男女」の関係では、「浮気」という行為が存在しないのだと思います。

 途中から、「です、ます調」でなくなったことをお詫びします・゜・(つД`)・゜・

 文章支離滅・・・。好き勝手書きました。

            。。・゜・(ノ∀`)・゜・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 6日 (金)

男とは、女とは、

男とはなんと愚かな生き物よ
欲にまみれ、その欲はとどまる所を知らぬ

女とは、その愚かな男の富にすがり、
富を貪る事のみが生きている喜びなのであろう

| | コメント (0) | トラックバック (0)